親の職業

部屋
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 子の部屋に入り、掃除をしていたら、机の上に二つ折りの用紙が置かれていた。
学校からの便りをまた出し忘れているのかと思い何となく開くと、それは小論文のようなもの。
既に印刷されているお題には「働くということ」とあり、国語の宿題なのか授業で使うのかは分からないけれど、それについての原稿だった。
まだ、全て書き終えてはいないようだったが、読み進めるうちに子が働くという意味を考えた時、少なからずも「親」の影響を受けているのだと実感した。そして、子の文章の中に、「共働き」というワードがあった。


ー私の両親は、共働きです。働くということを考えた時、まず一番に浮かぶのが両親の仕事です。


 正直驚いた。
パートの母親であっても、子から見たら「共働き」というカテゴリに入っていたこと。
週2の稼ぎにもならない仕事、夫の仕事と比べたら責任もなく、きっと高校生にすら出来る単調な仕事なのに。

夫の仕事については、前職から自営になった経緯だとか、その特殊な仕事内容について、子なりに夫に聞いたのか調べたのか分からないけれど書かれており、私の仕事についても、なぜかシステム関係とされていて、これではまるで専門職ではないか。かなり盛った内容ーというか、これは今の派遣さんの業務内容に近い。
ただ、パートの仕事内容が本当に辛かった時、子にぼやいていたことを思い出す。


「ママ、どんな仕事してるの?」


「すごく難しい。色々なデータを処理する手伝いとか、精査したりとか。例えば、ATMとかあるでしょう?あれをタッチパネルで操作するんだけど。その画面を設計したり出て来る明細とかデザインしたり、正しい金額が出るようにプログラムを組むエンジニアさんのお手伝いってところなんだよね。」

 
 私もよく分かっていなかったのが本音だが、つまりはそういう難しい仕事をしている人々のサポート的なことをしていると伝えた気がする。それが私の仕事ではないのだけれど、まだ働いたことのない子にとってはサポートであろうとなかろうと一緒くたなのかもしれなかった。
しかし、その時は本当にそういった業務を求められていた気がするし期待もされていた。打ち合わせに出ることもあったし、また、議事録を取るようにだとか、特殊なPCを操作しなくてはならなかったりと、とにかく日々新しくも難易度の高い仕事を教えられ、それに着いて行けずにあっぷあっぷ。心身共に病みかけていた時だった。
私の話を聞いて、すごいね!だとかポジティブな反応を子は見せなかったような記憶があるけれど、この文章を前に、私は子にとっていつしか立派な働く母親像になっていたことを知る。
騙している訳でもないが、なんだか罪悪感に駆られた。

ー母は、システム関係の仕事をしています。私達が普段何気なく目にし、日常で使っている電子マネーやタッチパネル、インターネット上での買い物等、ボタン一つですべてが完結する仕組みを作るIT系の会社で働いています。
今、インターネットは無くてはならないライフラインで、私達の暮らしを支える社会の仕組みでもあります。その仕組みは、子どもからお年寄り、病気や障害があったり、また都会や田舎に住んでいたりと、多種多様な人々の生活を成り立たせています。直接的ではないにしても、多くの人々にとって役に立つ仕事だと言えます。


 子が書いた文章とは思えなかった。
こんなことを思っているのかーと、我が子の知らなかった内面を見て、衝撃が走る。
少しだけ、働いていて良かったと思えた。
親の背中といえば大袈裟かもしれないけれど、もし今も専業主婦という選択を許されていたとしたら、子が書くこの文章の中に私は登場しなかっただろう。

今現在、私がしている業務はただのデータ入力やコピー取り。それに相変わらずの登録作業。
しかし、それだって子が言う「私達の暮らしを支える社会の仕組み」を作るサポートの一環なのではないかと思い留まる。
職業に貴賤はないのだ。

 それでも、社会にはヒエラルキーが消えることなどない。
1万円を得るのに、皆がやりたがらない汚れる作業を何時間もかけなくてはならない仕事がある一方で、華やかな場で生き生きと楽しく自分のやりたいように数分過ごすだけの仕事もある。
子の文章の冒頭にあったのだ。


ー働くという行為には二種類あって、一つは「自分が楽しめて稼げる」というもの。もう一つは「他人を楽にして稼げる」というものです。


 そんな一文と共に、私や夫の仕事は後者のものだとあった。
子の目から見て、そう見えるのなら。今の仕事を退職するにしても、これからも頑張ろうという思いに駆られる。
片っ端から求人をチェックする。
心も体も健やかでいられ、尚且つ、他人を楽に出来る仕事。

一方、我が子には。
自分が楽しめて、他人を楽にするー、楽しませるでもいい、そんな仕事をして欲しい。
欲張りかもしれないけれど、それはどの母親も持つ子どもへの願いなのだと思う。

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