実母から電話があり、丁度、新しい仕事に就いたところだったのでそれを報告。
仕事内容は事務だと伝えると、すぐに会社名を聞いて来た。
「聞いたことない会社だけど、大丈夫?」
いつまで経っても、ブランド志向の母。
誰もが知る一流企業に娘が勤めることー、それが彼女の夢だったのだ。
ただの契約社員だった頃だって、しかもその会社はだれもが知る一流企業といってもその子会社。
要するに、社名の一部に有名企業の名前が申し訳程度に付いているだけなのに、さも親会社に勤めているかのように親戚中に触れ回り、なんだか居たたまれなくなった思い出もある。
一緒に買い物に出掛けても、やたらと会社名が周りに聞こえるように大声で話すのだ。
「あんたの勤めてるOO社は、最近どうなの?」
自宅で聞けば良いことを、わざわざ電車の中やバスの中で聞くのだ。
さすがにもう娘は結婚し、子どももいるのに。いまだにその癖が抜けない。
そして、私の心中などお構いなしにこう続ける。
「そんないつ倒産するかも分からないところで何年やるのか知らないけど、あんた、この先のことどう考えてるの?一度聞いてみたかったんだけど。」
唐突にそう聞かれ、言葉が出なかった。
この先については、いつだってぐるぐる考えているし、むしろ一日たりとも忘れることなんてない。
なのに、何年経っても答えが出ない。
私にとって、パートといえども外に働きに出たこと、そして憧れのオフィスワークに就いたことはひとつの前進なのだけれど、傍から見ればちょっとした小さな変化に過ぎず、それが今後の人生を決定付けるきっかけにすらならないのだと思い知る。
私が思う、こうなりたい先のことー
それは、夫を頼らずとも自立出来るようになること。
亀の歩みでは、もう間に合わないのだ。
50歳手前で、定年を考えればあと10年。
これがまだ30代なら、もっと現実的に具体的に計画をもって先のことを考えられるのかもしれないけれど。
どうせあと10年ーという思いが、願望に対する諦めに拍車をかける。
現状に満足している訳じゃないのに、日々忙しくすることで問題から逃げている。
「今のパート先で、いずれ社員になると思う。」
つい、口から出まかせ。いちいち母親にダメ出しされたくないのだ。
私は、母じゃないし、母は私じゃない。
「ふうん。私の願い通りにはならなかったけど、あんたがそれでいいならいいんじゃない?」
母の願い通りーそれが叶えば、母は幸せになれたのだろうか。
そして、私自身はどうだったのだろう。
結局、自分の幸せは自分で決めるしかないし、母だって母自身の幸せは娘に投影するのではなく自分で手に入れるしかない。
それに最後まで気付けないことこそ、不幸せなのに。