父が秋にまた入院をすることになった。
約一週間だが、高齢だし色々と病気もあるので心配だ。
父は、私の中で母よりも存在感が薄く、二人きりで会話をすることも子どもの頃から殆ど無い。
なので、親子なのにどこか他人のようで、私達の間には薄っすらと互いに踏み込めないような領域がある。
そんな父と電話で会話をした。
母に用事があったのだが、生憎留守で、なので自宅にいた父が電話を取ったのだ。
普段、実家に寄っても、父は殆ど自室で寝たり起きたり。リビングにいることはない。
仕事人だった頃も、子どものことについてあまり干渉することはなく、その決定権は母に委ねられていたし、何か困ったことー、例えば進路のことについても、父に相談することはなかった。
悩めばすぐに、母が私の異変に気付き干渉して来るものだから、父の入り込む余地など無かったのだ。
いつからか私は父に頼ることなく、表面的には母を頼りーそうすると母は大いに張り切りご機嫌になるものだからー父との一日の会話はきっと今の夫と同じくらいの量かそれ以下だったかもしれない。
てっきり母が出ると思っていたものだから、想定外だった父との会話の引き出しなんてまるでなく、ただ体調を聞くことくらいしか思い浮かばない。
これが血の繋がった親子の会話なのかと思う程に、他人行儀で社交辞令のような、中身のない空っぽの会話。
ー今日は暑いですね
ー熱中症に気を付けないとですね
そんな、通りすがりの人と挨拶するような距離感で、私は父と約5分という短いようで長い時を受話器越しに過ごした。
父の声は、電話の回線による影響もあるのか、実際の声より年老いて聞こえた。しわくちゃなしゃがれ声で呂律がうまく回っておらず、テンポも遅い。
どこかで聞いたことのある声だー電話を切った後、誰だったっけと思い出そうとするが出て来ない。
ただ、少なからずショックを受けていた。じわりじわりと進む時計の針は容赦なく、だが誰にとっても平等に、寿命までの命をちょっとずつ削っていく。
私の後悔は、父に思い切り甘えられなかったこと。
母との関係に悩んだ時、勇気をもって相談したら良かったのかもしれない。
両親が健在という幸福に気付かず、そのどちらか一方に比重をかけたばかりに、こんなに拗らせてしまった。
父の、まだ張りのある声だった頃に聞いた祖母の声をふいに思い出す。
母のフィルターを通しての祖母の声が大嫌いだった。
その声と、父の声が重なった。私は、後悔している。
父の声、私の後悔
