こっちのばあば

桜 家族
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 子を連れて実家へ行った。
受験だったこともあり、久しぶりに子も顔を出した。
私が見ていても、なんとなく分かる。子が、「こっちのばあば」に対して気を遣っていること。
あっちのばあばに対しては、孫が祖母に対する普通の振舞いなのに対し、こっちのばあばに対しては、物心ついた頃からなんだか薄皮一枚、いや二枚も三枚も被ったような良い孫を演じるのだ。


「はい、お祝い。」

「ありがとう!」


 この日は父も起き上がっており、リビングにいたので、2人からということなのだろう。
お祝いを受け取った子は、恭しくお辞儀をしながらそれを受け取った。


「ちょっとだけどね、学校で必要な物とか買いなさい。」

「うん。教科書とか買うよ。」

「えらいね、そういうものを買うのなら、ばあば達も嬉しいよ。」


 模範解答。実際は、服とかコスメとかに消えて行くのだろう。それでもこっちのばあばが喜ぶのならそれでいい、嘘も方便。


「これ、食べなさいよ。美味しいから。」

 子が苦手な桜餅を出してくる母。いまだに孫の好きなものと嫌いなものが覚えられない。義母のように孫が沢山いる状況なら仕方がないと思えるのだが、たった一人の孫に対してこれなのだ。和菓子が好きなのは弟で、やっぱり母の中で一番大切なのは私より孫より弟なのだということを実感する。
それでも子は、家だったら絶対に口にしない桜餅を笑顔で頬張る。

「美味しいでしょ?」

「うん。」


 義実家で和菓子を出されても、遠慮なく要らないと断るのに。
なぜだろう、それはきっと母である私を見ているから。
幼い頃から、私と母との関係を見ており、子どもなりに母が祖母に逆らえないこと、そして自分が逆らえばイコール母である私に跳ね返ってくることを無意識に理解しているのだ。
それはきっと、子どもなりの母に対する愛情で、義実家に対してそれがないのは私が根底で義実家に嫌われても構わないという感情があるから。対し、実母に対して、嫌いなのに好かれたい、うざったいけれど断ち切れない、心の奥底では愛されたいーそういった言葉にならない感情が私の中で渦巻いていることを我が子は知っているのだ。もうずっと前から。

「3万円貰っちゃった。」

「ちゃんと考えて使いなさいよ。」

「分かってるって~」

 私の為に、本音と建て前を使い分ける我が子。
ただそれが良いことなのか悪いことなのか、よく分からないまま子は育つ。私がそうであったように。


 

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