交点

ピザ わたし
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 引っ越し前のママ友とランチした。
何年振りに会う彼女は少し痩せていて、どこか疲れている様子だった。
音信不通気味だった理由も分かった。
彼女の息子は第一志望だった高校に不合格し、心を病んでしまったらしい。
滑り止めの高校に入学したものの、入部した部活も仮入で退部、学校の空気に馴染めず不登校になってしまった。
私の記憶では、まだ小さな無邪気で賢い男の子のイメージのまま止まっていた彼。
不登校の子どもを持つ母の気持ち、それはなってみないと分からないけれど、私も子が二年になりクラスに馴染めず行き渋りがあること、修学旅行は自らの意思で欠席の形を取ったことを伝えると、彼女の表情も少しだが安心したように和らいだ。

 昼間からビールで、と乾杯した。
私も新しく始めたパートの悩みや夫のこと、義実家の愚痴をさらけ出す。
いつも一人ため込んでいるモヤモヤを、対面している、生身の人間に向かって話すことは、少しの脚色や体裁はあるものの、自分という人間を丸ごと受け止めてくれる優しさが相手にあるのだという安心感により成り立つもの。
彼女の限られた人生の貴重な時間を切り取って、こうして私の為に使ってくれる安心感だ。


「仕事、大変だろうけど頑張って。私は辞めちゃったけど。子育ても限りあるしあと数年だからね。悔いが残らないよう今は家庭のことに専念する。今度会う時には、ちょっとは良い方向に向かっているといいなぁ。お互いにね。」


 遣り甲斐のある仕事を辞め、ハンドメイドも今はインスピレーションが湧かないからお休み中という彼女。使えるエネルギーは、すべて子ども達の為に今は使いたいのだと言う。

窯焼きピザにホタルイカのペペロンチーノ。
きりりと冷えた白ワイン。
ハーフボトルをオーダーしシェアしたら、ほんのり頬が赤く染まる。

 切れそうだった縁が、また繋がる。
それはまた、途切れそうになるかもしれないし、どうなるか分からないけれど。
こうして会えた時間を楽しむこと、それだけで先のことなどどうでも良くなる。
互いに環境の変化に伴い、感情だって変化するのだ。
二本の続く果てしない線同士、ふっと交わって出来た点。
その頼りなくも愛おしい小さなそれを大事に出来たら、人間関係ももっと楽になるのかもしれない。




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