今日は、パート終わりにN恵と会う。
あんなに面倒だった店決めは、なぜか牛タンの店になった。
N恵が決めたのだ。急に、牛タンが食べたくなったと言って。
正直、時間を返して欲しい。しかし、私に対して妹的立場を守っている彼女がこの手の我儘と思える行動をとるのはある意味想定内であって、私も一瞬はカッと頭に血がのぼり掛けたものの、悔しいが5分後には楽しみの気持ちが相まって怒りは静かに治まった。
最近、仕事へ行く朝、きまって散歩するお婆さん4人組を見掛けるようになった。
ついこの間、一人欠けてしまい心配していたのだけれど、いつの間に元に戻り、更に今度は仲間が増えた。元気なお年寄りだ。
お金持ちなのだろうか。高齢だけれど、高級メーカーのダウンを羽織り、中にはウォーキングだというのにミンクの襟巻を付けている人も。
皆、楽しそうにワイワイお喋りしながら歩みを進めている。
こんな風に、近所に日々生存確認の意味も兼ねて、気楽に会える友達がいることは私が手に入れたかった未来だ。互助会的な役割を果たす友。今はもう諦めているけれど・・
でも、ふっと思う。
別に他人でなくてもいいのでは?兄弟だったり娘だったり、従姉妹だったりー血縁関係にいてもこうやって気軽に会える人間がいる、それがあれば人は心健やかに老後を過ごせるようになるのではないかと。しかも私は運の良いことに、息子ではなく娘がいる。性格的にベタベタはしていないけれど、いずれ彼女が大人になり結婚するかしないかは分からないけれど、母親を頼りにしてくれる日が来ることを期待出来る環境にいることだけで幸せではないかと。
成人して、息子が母親と買い物やらランチやらはちょっと微妙なところがあるけれど、娘ならごく自然なことだ。
なんて、私は実母との関係にうんざりしていることを思えば、子も私に同じような感情を持つ未来だってなくはないけれど。
パートは気が重いけれど、その後の楽しみを胸に頑張ろう。
たったの3時間。それが終われば、重たい仮面を外してちょっとは素の自分をさらけ出せるのだから。
気心知れた人間に、たまに会うこと。コツコツ積み立てること自体に意義がある。
互助会的な繋がり
家族
