晴れた日は、ポスティング。
雨だったり体調が悪いと重い腰が上がらず、つい先延ばしにしていたらもう月末。
郵送されたノルマは絶対こなさないとならないので、週末は雨だし今日やろうと決めた。
朝からバタバタ夫と子の弁当を作るついでに、余ったものを自分弁当にタッパーへ。
卵焼きの切れ端とウインナー、それにちくわの磯部揚げと、昨日の夕食で残った肉じゃが。
彩りは茶色だらけで悪いけど、品数も多いし、案外豪華な弁当が出来た。
UVカットのパーカーを羽織り、自転車の前と後ろの荷台にチラシを乗せる。
ボディバッグには水筒と弁当を詰めて、いざ出発した。
ポスティング、天気が良く過ごしやすい気候であれば割の良いバイトだと思う。
勿論、単価は低いし、こんなに配って時給1時間分と知った時は愕然としたし、相変わらず住民にばったり遭遇すると気まずいし、知人に会いたくないなーとマスクをしてサングラスと不審者ルックで自転車を漕ぐことに抵抗はあるけれど。
だがモノは考えようで、自宅でぼんやり運動せずだらだらしている数時間、外に出てセロトニンを浴びれて、しかもダイエットにもなって、1000円ちょっと稼げることは有難い。
前かごに入っていたチラシが空っぽになったところで、丁度お昼時。目の前には公園。
休憩がてらのピクニックを楽しむことにした。
久しぶりのソロ活。花見やピクニックを一人ですることに最初こそ抵抗があったけれど、今はむしろその気ままな自由さが嬉しい。
まだ子どもとセットだった頃は苦痛だった。
周囲の楽しそうなママ友や子ども達の群れに気圧されて、子と隅っこにレジャーシートを広げ、心の底から楽しめなかった。きっとそれはいつでも子どもに対しての罪悪感からだった。
お友達と遊びたいよね、こんなママでごめんねという罪悪感。
でも今になって思う。
思い切り、それこそお友達の代わりに全力で楽しんでいたら、ちょっとは見えた景色も違ったかなと。
そう思えるのに10年掛かってしまったけれど。
昼間の公園は、案外がらんとしている。
きっと、私が園児ママだった頃とは違い、働くママが多いのだろう。
だから、小さな子連れのママ達が殆どいない。
噴水の前のベンチに座り、ボディバックに入った水筒と弁当を取り出す。
弁当はすっかり冷えてしまっていたが、外が暑いのでむしろこれくらいの温度が丁度良い。
余り物弁当だが、運動した後のご飯は何よりのご馳走だ。
黙々と、行儀は悪いがスマホを見ながら食べていると、すぐ隣のベンチに男性が腰を掛けた。私の父くらいの世代だろうか。
手には、コンビニのアイスコーヒー。なぜか二つ持っている。そして噴水をぼーっと眺めていた。
「ー・・・きですね。」
?
声が聞こえた気がしたが、独り言だろうか。
「ーてんきですね。」
?
周囲に人は私しかおらず、ならば私に向かって話しているのだろうか?と恐る恐る男性の方を見る。こちらをガン見しており、やっぱり私に話し掛けていたことが分かり、申し訳ないが一人の気楽な時間を邪魔されたような面倒な気持ちになった。
「天気がいいと、そうやって弁当持って来て食べるのもいいかもしれませんね。」
「・・はぁ。」
「またすぐに梅雨になって、そしたらもうこんな風に外に出てられんくらい暑くなりますからね。」
「・・はぁ。」
愛想笑いをしつつ、会話がしたいのだなと気付き、頭をフル回転して掛ける言葉を絞り出した。
こういう時、どうもぎこちなくなってしまう。コミュ力があれば、難なくすらすら気持ちの良い言葉が出て来るのだろうけど。
「この辺にお住まいですか?この公園、噴水もあって気持ち良いですよね。久しぶりに来たけど、やっぱり落ち着きます。」
男性は、ゆっくり頷くとため息を漏らした。何か変なことを言っただろうか?沈黙が続いたので怖くなった。
「よくね、妻とここで散歩してたんですよ。春になると桜を見てね、暑くなればこの噴水に涼みにね。」
過去形だったので、奥さんに先立たれたのだろう。若干、気まずくなるが、
「散歩コースにはいいですよね。奥様と、素敵な思い出ですね。」
そう言った後、しまったーと思った時は遅かった。
ベンチに置かれた二つのアイスコーヒーが目に入ったからだ。
「49日がね、明後日なんですよ。明後日にはあっちへ行っちゃうからね、それまではこうしてね、毎日デートですよ。残念ですよ、今年も紫陽花を楽しみにしてたのに。」
言葉を失う。だから、もう一つのアイスコーヒーは奥さんのもので、一緒に散歩をしに来たのだ。
この公園は、噴水も有名だが紫陽花も有名で、電車をわざわざ乗り継いで見に来る人もいるくらい。
梅雨になれば、色取り取りの紫陽花がぱーっと公園中を飾るのだった。
「そうだったんですね。紫陽花、綺麗ですものね。仲がよろしかったんですね。」
「いつも怒られてばかりでしたよ。気の強い人でね、一つ言ったら十返って来る、そんな感じで、こっちは黙ってハイハイ、言うこと聞くしかないくらいでね。」
「お元気な方だったんですね。」
「気っ風がいいというかね、お腹の中にためられない人なんです。だからいいんです。言いたいこと言って、笑って怒って、見てるだけで飽きない、そんな人です。」
男性の噴水への視線は、亡き妻へ向ける暖かな眼差しに変わる。
愛されていたのだなーと、不幸があったはずの彼女が少し羨ましい。
「やることなくてね。男一人、寂しいもんですよ。子どももいないしね、ただ毎日ぼーっと一日が過ぎていきます。飯も食う気がしないし、眠れないし、だけど一日家にこもってたら妻に怒られそうでね。社交的な人だったから。家にいると、いつも無理やり引っ張られて外に出てたからね。」
ただ、黙って頷くことしか出来なかった。
食べ途中の弁当に箸をつけるのが躊躇われ、タッパーの蓋を閉じてバッグに入れた。
代わりにマグのお茶を飲む。
「一日が、長いんですよ。朝起きて、あぁ、そういえばもう妻がいないんだって思って愕然として。一人分の洗濯なんてすぐ終わるから3日に一回になって、新聞も読む気がしないから開くこともなく積み重なって、テレビだけは点けてるけど、なんも頭に入ってきやしない。」
「でしょうね・・お辛いですね。」
「まだ、信じられないんですよ。遺影の中にうつってる写真を見てはっとするんです。そうしてね、話し掛けるんですよ。水と線香をあげて、花を置いて。でもね、なんも返っちゃ来ないんですよ。一つ言ってもゼロなんです。静かなんです。音が、無いんですよ。」
男性の、奥さんと一緒に暮らしていた部屋を思い浮かべる。
静か過ぎれば、それは煩いのと一緒で、その沈黙が耳に障る。気がおかしくなるーそんな男性の思いが伝わって来た。
「これ、良かったら。」
ぎょっとしてしまった。
奥さん用に買っただろうアイスコーヒーを勧められたからだ。
その善意を断る勇気もなく、だからといってすんなりそれを受け取るのも抵抗があり迷っていたら、
「コーヒーお嫌いですか?」
そう聞かれたので、
「ごめんなさい、お腹が弱くて。珈琲は苦手なんです。」
「そうでしたか。」
男性は疑う様子もなく、差し出した珈琲を引っ込めた。
すると、さっと立ち上がり、
「すみませんね、色々聞いてもらって。若い女性とこんな話し込んでたら、妻に怒られてしまうかな。ははは。では、失礼します。」
足取りが若干ふらついているのが心配だが、男性は深々と私にお辞儀をすると去っていった。
もう一回りくらい公園を歩き、再び静かな自宅に戻るのだろう。
人はいずれ消える。誰しもが、寿命こそあれ平等に。
喪失感が大きい程、それが手元にあった時は幸福だったということだ。
無くなるということは、在ったということ。
その事実に温かみをおぼえる時が、いずれきっとやって来るはず。
今はまだ無理であっても、きっといずれは。
行きずりの男性
