欠勤明けの振舞い方

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 シフトが入っていた2日間、病欠で休むことになってしまった私。
職場連絡は思うよりスムーズで、しかももう1日は出勤しなければ欠勤扱いという好待遇。
これまでのパートでは、休むとなれば毎朝の電話が憂鬱で仕方が無かったというのに。


病み上がりの通勤

 重い体を引き摺るようにして、自転車を漕ぐ。
普通の休み明けではなく、病欠での休み明けー、どんな顔をして職場へ行けばいいのか。
ペダルが重いのは、弱った体のせいだけではない。
40分掛けて、オフィスビル近くの自転車置き場に停める。もうそれだけで汗だく。
若干、胃がキリキリ痛む。まだ病み上がりの身体なのだ。

ビルの中は別世界のようにひんやりと静か。守衛さんと目が合う。挨拶を小さく交わした。
いくつもあるエレベーターの前には、この建物で戦う人々が扉を開くのを待つ。今日も、一日が始まるのだ。

ついこの間までの自分がいた世界とまったく違う世界。
匂いが違う。
うまく言えないけれど、男性の整髪料や女性の香水ーそれらが入り混じった香りは満員電車のそれとも違う。
オフィス独特の香り。
 
 エレベーターからは、一部ガラスなので吹き抜けの休憩所が見渡せる。
まるでカフェのような、お洒落なソファーや小さなテーブルがあり、朝からテイクアウトしたコーヒー片手に談笑している人々がいる。
あんな風に、私もこの場に馴染みコーヒーブレイクなんて到底出来る日が来るとは思えないけれど、それでもこれまで毎朝家族の汚れ物を洗濯しながら、バルコニーから子どもを送迎するママ軍団を眺めていた自分はもういないのだと実感する。





欠勤明けの挨拶

 職場の階に到着し、まずはトイレへ向かう。
迷惑掛けたのだから、まずはお詫びの挨拶。
リーダーと、小川さん・・でも、それだけでいいのか?
私の席の前方や斜め前の男性社員にもした方がいいのか?
直接は彼らに迷惑を掛けていないし、まだ仕事を振られたわけでもないけれど、社会人としての常識とやらはーいったいどこへ行ったのだろう?
すっかり社会から離れていたブランクを、こんな時に実感するのだ。
独身の頃は、こんなことで悩まなかった。
そもそも、こんな時にどうしていたかすら思い出せないけれど、それなりにうまくやっていたのだろう。
これまでのパートでは、休み明けにお菓子を配ったり謝りまくったりしていたけれど、そしてそれが当たり前だったけれど。
デスクで仕事をしている人の手を止めてお詫びに回るのも、また菓子を配るのも、なんだか違う気がするのだ。
そして、最初にこうしようと思っていた行動に出ることにした。
目が合った人に挨拶とお詫び―全員は無理だとしても、それでいい。
意を決して、IDカードを通し入室した。

ーえ?なんでこんな人がいるの!?

 いつものような、夜勤明けの人がまばらにいるのではない、全員ーほぼ全員がデスクに座り、何やら忙しそうにしている。
勿論、小川さんもいるしリーダーもいる。
そして電話をしながらPC画面に張り付き、物凄い勢いでキーボードを叩いている。
素人の私が見ても分かる、明らかに何かのトラブルが発生した空気。
そろそろと自分のデスクに着き、小川さんが電話の受話器を置いたタイミングで挨拶をした。

「おはようございます。お休みいただき申し訳ありませんでした。」

 彼女の目が血走っている。
もしかして、寝てない?帰ってないとか?

「おはようございます。すみませんが、今日は昼までだったと思うんですが、17時までに変更って無理ですか?ちょっとやって欲しい作業が色々あって。」

ーえ?何?私に出来ること?怖い・・


「あ、はい。勿論です。大丈夫です。」


「良かったです。じゃあ、取り敢えず後で説明の時間取るので、それまではこの書類、すべてカラーのPDFにして共有フォルダAに入れておいて貰えますか?」

ーえ?これ全部?物凄い量だし、カラーのPDFって?ExcelからのPDFなら吉田さんから教えて貰い覚えたけれど、紙をPDFに変換する方法が分からない。

「すみません・・紙のPDFって・・それにカラーの設定ってどうやるんですか?」

 ものすごく聞き辛かったけれど、分からないものは分からない。今、勇気を出して聞かなくては後々まずいことになる。

「小川、ちょっと。」

 そんなタイミングで、リーダーが小川さんに声を掛けた。
そして、私も今だーと挨拶。

「おはようございます。」

「おはようございます。」

「お休みいただきありがとうございました。」

「?ー・・あ、あぁ。」

リーダーは、一瞬不思議そうな顔をしただけで反応が薄かった。彼からしたら、いちパート従業員が休んだって影響はないのだろう。


「小川、データ出来た?あとどれくらい?」


「えっと、あと少しなんですけどちょっとうまくいかなくて。見て貰っていいですか?あと、芝生さんすみませんが、コピー機で色々触れば多分分かると思うんでやってみて下さい。分からなければ、その時聞いて下さい。」

 彼女の緊張感がもろに伝わり、リーダーが厳しい顔で彼女のPCを覗き込む。とてもじゃないが、PDFのやり方なんて聞ける状況ではなかった。

結局、欠勤明けの挨拶を気にしているのは当の本人だけで、周囲はまったくもって気にしていなかった。


自信喪失

 PDFは、スキャンしてPDFに変換ーということをネットで調べ、なんとか出力することは出来た。
だが、とても時間が掛かった。
更に、PDF化してスキャンしたファイルがどこに保存されたのか探すのにも苦労したし、また名前の変更ー中身を見ていちいち確認してから名前を付けるのでとても時間が掛かった。
スーパー派遣事務員だったら、こんな作業は朝飯前なのかもしれないけれど。
小川さんから、「出来ましたか?」と3回程聞かれたので、要するにそういうことなのだろう。
あっという間に昼になり、しかしお腹はまったく空いておらず、家から持参のゼリー飲料だけ流し込み、外をふらふら歩いて休み時間を過ごした。
休み時間なのに、まったく休んだ心地がしなかった。

 午後、小川さんに連れられ特別なPC室へ。
操作をしながら作業の説明をしてくれた。
いったいこの作業が何に繋がるのか分からない。
ただ一つ言えることは、彼らが今取り組んでいるトラブルに対応する為に必要な作業の一つということ。そしてそれは、彼らからしたらバイトに任せられる単純作業の一つでもあり、更に時間を要するもの。それに掛かるだろう時間を使い、彼らはトラブルの根幹を修正しなくてはならないのだろう。

小川さんの説明はきっと丁寧だし分かる人には分かるのだろうけれど、私の能力では理解し難かった。だが聞き返すのも3度が限度。
分かった振りなんて一番良くないのは分かっているけれど、この状況下ではそうするしかなかった。



タイムアップ

 時計の針は、無常にも物凄い速度で進んで行く。
機械操作に慣れるのも時間が掛かる上に、自分のメモの意味が分からずフリーズしてしまう時間、再び空気を読みながら小川さんデスクまで行き質問する時間、作業場に戻り、実行する前に処理の流れを整理しシミュレーションする時間、やり方を間違えたのか思うような結果が出ず、再び小川さんのデスクへ行くかもう少し試行錯誤するか迷う時間。
実際の作業スピードの速さ、また行き詰った場合に速やかに質問しに行く判断力、それが備わっていれば時間内に終わるのかもしれない。
要するに、メンタルが強ければ。
嫌な顔をされたとしても気にせず、疑問に思ったことをどんどん聞きに行ける強さと鈍感力。
それは時に相手からしたら迷惑行為に繋がるのかもしれない。だが、会社からしたらトータル作業効率アップに繋がるのなら、正解の行為なのかもしれない。

 タイムアップ。
17時を回ってしまったが、まだあと1時間以上は掛かるだろう見込みの作業が残っている。
このまま黙って作業を続けるのが良いのか、しかし時給が発生してしまう以上、残業代を稼いでいると思われるのも困る。
こちらとしては、自分の能力不足での残業なのだから、いったんタイムカードを切ってもう少し残業したって良いくらい。
しかし、これだって私が判断することではない。
いったん自席に戻った。


「すみません、最後まで終わりませんでした。でも、まだ残れます。」

 小川さんの表情からは何も読み取れなかった。
怒っている訳でもなく笑っている訳でもない、だから逆に怖かった。

「ちょっと、見て来ます。あ、帰る準備して下さって結構ですよ。ちょっと待ってて下さい。」

 PC電源を落とし、身の回りのものを鞄に入れるとすぐに帰宅準備は終わってしまった。
少ししてから小川さんが戻って来て、一言。


「大丈夫です、お疲れさまでした。」


 きっと、大丈夫ではないのだろう。
もしかして、あの残りは彼女がするのだろうか?


「あの・・明日は出勤した方がいいですか?」


 シフト上は休みだが、今週は2日も休んでしまったし、こうして今日も迷惑を掛けてしまった。
だからこその申し出なのだが、


「それは私が決めることではないので。リーダーから頼まれたらお願いします。」


「そうですよね、はい。分かりました。あの・・何かトラブルがあったんでしょうか?」


 今朝からずっと知りたかったこと。こんなに殺伐とした空気が日常なのか、トラブルからなのか?
今後のこともあるし聞いておきたかったのだ。


「テストの段階ではうまく流れてたんですけどね。本番ではよくあることなんです。」


 テスト?本番?よく分からないけれど、この業界ではよくあることなのだという。


「あ、それから議事録、小川さんがして下さったんですか?」

「あ、その会議も無くなったんです。こちらの対処に追われてそれどころじゃなくて。」

「そうですか。すみません、そんな時なのにお休みいただいて。」

「いえ、そんな気に病まないで下さい。大丈夫ですよ、お疲れさまでした。」

「お先に失礼します。」


 私のデスク周辺の社員らは、バタバタといつも以上に忙しそうにしており、パートとはいえ先に退社するのが申し訳なく思う程だった。
それでも私が帰りの挨拶をすれば、


「お疲れさまでした!」


 挨拶は返って来るし、きちんとした職場なのだなと思う。
ただ、やっぱり居心地が悪く、それは休み明けだから云々というものでもないのだ。







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