子のぼやき

ローテーブル
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 春休みに入った子。
早々、この悪天候。さすがに今日は家にいるようで、朝からダラダラとリビングで寛いでいる。
私も今日は休みなので、2人して遅い朝食を食べた後、大谷選手のコメントをワイドショーで観たりして。
夫は仕事で不在だし、今日一日、気ままにゆっくり出来て嬉しい。


 子がまだ幼い頃は、果てしなく続くように思える二人きりの時間を持て余し、何もしないことは「悪」だと信じ、有意義に過ごすことに躍起になり疲れ果てていた。
思うようにいかない子育てに辟易し、話の通じない小さな我が子を宥めながらもその日の晩御飯メニューを考え、来る日も来る日も終わらない家事に追われ。
それは今でも変わらないけれど、子との関係は楽になった。

あの頃は、一心同体と思えた我が子。
子の感情や行動に一喜一憂し振り回され、勿論、何物にも代えがたい喜びは大きかったけれど、子が過ごしやすく生き生きと出来る環境を与える責任は一切私が背負っていた。その負荷に楽しめる余裕は無く、素敵ママや孤高の人のように自分のアイデンティティに取り込んでしまえるようなスキルもなく、子が詰まらなそうにしていれば自分を責める悪循環。
今でいう、親ガチャ外れでごめんねーと子には心の中で何度詫びたことか。

それが今では、ようやく子の生活と自分の生活を切り離すことが出来て。
私の環境は相変わらずのものだけれど、子は、高校生活を満喫している。
友人に恵まれ、生き生きとしているーもう何も心配ごとは無い。そう思っていた。
しかしー、


「クラス替え、憂鬱。」


 子がそうぼやくのを耳にし、久しく起きていなかった胸騒ぎ。


「どうして?」


「今のクラス、当たりだったけど。私のグループの子、みんな選択科目が違うんだよね。やっぱり同じのにしとけば良かったかも。」


 クラス替えに関わるという、選択科目。それは塾とも相談し、子の現在の成績含め今後の進路を考慮し決定したもの。
あの時、なんだか渋って見えたのはそれが原因だったのか?


「大丈夫だよ、新しい友達出来るって。」


「いや、そんな簡単じゃないから。」


 珍しく弱気な子のぼやきに、私の心もざわつく。
久しく訪れていなかったこの感じ。さざ波が落ち着くことを今は祈るしかないのだけれど。



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