クラスガチャ、当たり~
なんて子が言う。
去年は大外れだったものだから、その反動は大きいらしく、明日からインフル休みが明けて登校だけれど楽しみだと言う。
お弁当を食べるのも、体育の授業も、休み時間も、これまでのように持て余すことはないだろう。
周りの目を気にする必要もないし、何より学校が楽しみだなんて嬉し過ぎる言葉。
親としては、去年が当たりクラスだったら修学旅行も行けたのにーと思うところもあるけれど、もう過ぎてしまった過去を嘆いても仕方がない。
むしろ、今年は受験でメンタルを保つ為に最善の環境が必須で、その条件を満たすことが出来て一安心。
クラスガチャ、親ガチャ、隣人ガチャ、出て来るものがランダムで自らの意思で選択出来ないものをガチャという言葉に絡めることで、その深刻さをちょっとだけ軽くする。
基本、「外れた」とネガティブに使われることが多いけれど、どんなカプセルが出て来るか分からない、それが人生。
外れた時、そこからどう希望を持って動くか、成長幅が大きく広がるチャンスとも言える。
勿論、逃げることだって前向きな行動だと思う。
なすがまま、受け身でいたら、人生は好転しない。
子は去年、外れたと嘆きながらも、なんとか登校拒否はせず学校には通い続けた。テストだって受けた。修学旅行の件は本人にとって辛い思い出となってしまっただろうけれど、敢えて行かないという選択をした。自分の意思を持って。
それだって大人になって振り返った時、順調ではなかった過去はきっと人の痛みに少しは共感出来る材料になるのではないか。
自身がマイノリティの経験を持っていればこそ、その気持ちが理解出来る。
陽の当たる場所しか知らない人間は、日陰に身を置かざるを得ない状況での耐性が弱い。
この先、何度もガチャに外れることがあるだろうけれど、「選択」することから放棄しなければ前に進めるのだと親として伝えていきたい。