娘からの手紙

手紙
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 まだ子が幼い頃は、母の日や誕生日にちょっとした手紙を貰っていた。

ーママ、大好き
ーママ、いつもありがとう!

 元々、他の子に比べて女の子にしてはそういった感情表現を表に出すのが苦手な我が子。
自発的に書いているというよりは、幼稚園や学校で先生に言われての、授業の一環での手紙だったりが殆どで。長々とした手紙なんて渡されたことなどなかった。

卒業式に渡された感謝の手紙

 卒業式の朝。
受付でプログラムを貰うのと同時に、封筒を一通渡された。
裏面を見ると、子の名前。なんだろうー?と疑問に思ったのだけれど、席に着いて周囲を見渡すと、他夫婦の会話で子どもから親に向けた手紙なのだと知った。
封筒の中から出て来たのは、便箋2枚。父と母、それぞれに向けての手紙。
夫に1枚手渡す。
 便箋を開くと、そこには子の見慣れた文字がびっしりと詰まっていた。


15年間分の答え合わせ

 最後の文字まで目を通し終えた時、気付けば涙で視界がぼやけていた。
思春期を迎えた子に対しては、この3年の間、時に行き詰まり、時に心底憎らしく思うこともあった。

 我が子ながら、何を考えているのか分からず、自分が駄目な母親だから尊敬出来る親ではないから、子は私にこんな態度を取るのだと諦めの境地に陥ったこともあった。
それでも毎日ご飯を作り、車でもないのに意味がないと言われても尚、塾の送迎をし。
うざったい母親なんだろう。私のようになりたくないという気持ちなんだろう。そう思いながらも、やはり私は母を辞めることなど出来なかった。
子育てに正解などないというけれど、もし答え合わせをしたのなら、赤点確実。

 私は自分の子育てに胸を張ることなど到底出来ないままこの15年目の節目を迎えたのだ。
そこに来て、この手紙。
想像もしていなかった、愛に溢れた手紙。
15年間の答え合わせの結果が、そこに詰まっていた。


不器用だけれど愛のこもった子からのプレゼント

 いつも傍にいてくれて、味方になってくれてありがとう。
送迎も、私の為に自分の時間を作ってくれてありがとう。
美味しくて暖かいご飯を作ってくれてありがとう。
いつも、私の為に尽くしてくれてありがとう。

 手紙の文章は、ここには載せられない。勿体なくて載せられない。夫にも見せていない。
しかし、内容はこんな感じのもので。そのどれもが心に響くものだった。
子の本音がそこには書かれていたと思うし、また少し照れ臭かったのだろう。最後にはちょっとしたふざけた一文も記されていた。

 私の子育て。
満点ではないけれど、愛情はちゃんと子に届いていたのだな。そんな風に思えた。
だって、子からの手紙も愛に溢れたものだったから。
親子は、鏡のようなものだから。
すべては自分に返って来る。
タイムラグはあるかもしれないけれど、手を抜けばそのツケも。手を掛ければそれ相応の感動がこうして返って来るのだ。

 こんな風に、思いも掛けないプレゼントとして。

親を喜ばそうと思う心

 周囲の親達は、子からの手紙を読みながら私のようにハンカチで目を抑えている者もいれば、そうでもない者もいた。
また、

「思ってもみないことを!」

 照れ隠しなのかなんなのか、恐らく息子から貰った手紙を父親が茶化す声も聞こえた。
一方、隣に座る夫は無表情だった。読み終えると黙ってそれをポケットに入れた。
何が書いてあったのか興味はあったけれど、聞けなかった。
妻の勘で、夫が期待するような内容ではなかったのかもしれない。そして、私の手紙を見たら自分が貰った手紙と比較してショックを受けるかもーと思うと、何となくそっとしておく方が良いと思ったのだ。


 ただ、どんな手紙もそこには本音が隠れていると思う。
長い文章であっても短い文章であっても。
ふざけている中にも素直な一文だったり。
体裁が整えられている綺麗ごとのような嘘っぽい文章でも。
そこに共通するのは、「親を喜ばそう」という気持ち。それは、笑わせようというものでも同じで。
プラスの気持ちが働いている。


 親を喜ばそうーその気持ちこそが子からの感謝の気持ち、恩返しなのだと思う。

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