今年も、母の日はスルーされた。
少しだけ期待していたのだが、その日は塾の大きな模試があったので、それどころではなかったのだと思う。
私は当日、普通に買い物をしていた。ショッピングモールに併設されている花屋は大行列で、まるでアトラクションに並ぶ客達の列のようにざわめいており、その殆どがいかにも子どもと父親のペアだったり、今時の女の子や男の子、それに、カーネーション1本を握りしめている小学生らしき子も。
私世代が好む雑貨屋に寄ると、レジ前で子どもがラッピング待ちをしており、母の日用のカーネーションのイラストが印刷されたシールを貼って貰い、嬉しそうに受け取っているのを目にした。
微笑ましく思う一方で、僅かに期待している自分。防衛反応で、今日は模試だからーと何もないことも想定し、がっかりを顔に出さないようシミュレーションしたりもして。
夕飯、自分で作るのかーとなんだかやる気がさっぱり出ず、こういう時に限って、夫から外食の誘いがないことにも苛々してしまう。勿論、夫は私の息子ではないし、私は夫の母親ではないのだから、それを求めるのも違うのだけれど。
「あー、つっかれた!お腹すいた。」
帰宅し、第一声の我が子の声に、平静を保ちつつ、お風呂が沸いているので先に入ってと伝える。
もやもやしながら作ったカレーライスを皆で食べる。
点いたままのテレビのニュースで、母の日特集。
少し、気まずい空気が流れる。変な沈黙。
だが、夫は我関せず。カレーをさっさと食べたら自分用のハイボールを作り始める。
何もなかった母の日。
仕方がない、子は忙しかったのだし、今は受験に集中する時。
過去にしてくれたこともあったし、母の日がないからって私のことが嫌いな訳じゃない。
そう言い聞かせる一方で、お菓子くらい買う時間があったんじゃないの?なんて情けないことを思う。
鍋にこびりついたカレーをこそぎ落としながら、せめて後片付けくらいやってくれたってーなんて、また思う。
翌日、スマホを開くと、気に入りのブログやインスタにも、母の日もらいました!的な記事ばかりが並びうんざりする。
カーネーション!カーネーション!!カーネーション!!!うざいくらいに目に付く。
スルーされた母にとっては、鬱になる情報源。
皆、子どもから大切にされている自分にうっとりしているのだろう。
あぁ、嫌だ。そんなに幸せなら自分で勝手に噛み締めてろよ。
なんでいちいち公表するのだろう?有名人も、そうでもない無名の主婦も、皆一様に、子育て成功しましたアピール。
みーんなみんな、自慢したいのだ。自分を認めて貰いたいのだ。
母であること、そして子どもから認められている、愛されていることが簡単に分かる指標となる母の日イベントは年に一度というタイミングでは、やっぱり必要なのだ。
地味で途方に暮れてしまうような子育てや家事を、ぱっと肯定させる大事な祭り。
子育てに追われ、時に行き詰まり、出口が見えずに悩み焦り、そして苛々しー逃げたくなる瞬間があったとしても、この一日に救われる母親が多くいる。
だが私のように、母の日なんてなくなればいいのに!と思う人間だってきっといるに違いない。
どんな祭りも、笑う人間がいる一方で泣く人間がいる、それを忘れないで欲しい。
母の日スルー
