ラッキーなこともある

おみくじ わたし
スポンサーリンク

 初詣で引いたおみくじは、末吉。
普段、おみくじなんて怖くてやらないのに、今年は我が子が受験生だからという理由でやってみた。
ドキドキしながら、凶が出ませんようにと願掛けつつ開き、結果を目にして安堵する。


初詣は、義実家の近くの神社。毎年、少し飲み食いした後、皆でぞろぞろ揃って出向く。
義母は、杖があれば歩けるようになった。だが、義姉が腕を貸してそろそろと。

義姉達や夫は地元民なので、神社へ行くと知人に多く会うようで50メートルに一回は誰かしらに遭遇し挨拶。夫は今年、中学時代の部活仲間と会って楽しそうにしていた。
義姉らは、幼馴染や同級生、それにママ友らと何度も会っては会話をし、義母も顔が広いのでお詣りが終わっても立ち話は続く。姪や甥も同じく近所に住んでいるので馴染みの友達が初詣に来ており、写真を撮ったりして楽しそうにしていた。

手持無沙汰なのは私と子。皆の立ち話が終わるのを待ちつつ、お守りを選んだり。
子がおみくじをやりたいと言うのでお金を渡すと、

「ママもやってよ。」

 誘われたのだった。

 末吉なんてぱっとしないなーと思いつつ、書かれているお告げにはなかなか深いことが記されていた。
大きな成功はないけれど、失敗もない。心穏やかに静かに過ごしなさいーそんなこと。
自分の中での満足の基準、誰にも振り回されない、充実の基準。
それさえぶれなければ、幸福でいられるのだと思う。

 思えば、数年前の自分からは想像出来ない暮らしを送っている。
自宅に引きこもって、悶々と生産性のない日々を送っていたあの頃。
今は、二つも仕事を掛け持ちし、尚、夫の仕事も手伝っている。
まさか自分がそんな風に精力的に動けるようになるなんて思っていなかった。
人間、留まっていることはないのだ。
生活の為、子どもの学費の為、老後の為、もしかしたら訪れる介護の為。
稼げるうちに稼がなくてはー焦りからスタートしたチャレンジは、成功こそしていないけれど、ほんの少しはなりたい自分に近付けている。


 そういえば、事務パートのミスだけれど。
なんと、〆切過ぎていたのに何事も無かったかのようにきちんと申請出来ていたようだ。
米田さんから、

「あ、去年の申請だけど通ったって電話あったから。あの日忙しくて、帰り際にちゃんと伝えてなかったかもしれないけど、芝生さん出してくれてたんですね。ありがとうございます。」


 米田さんは米田さんで、私に業務依頼していたことをすっかり忘れていたようで、むしろ私が気を利かせて郵送手続きをしていたと思い込んでいたようだった。
ミスは無かったことになったとはいえ、もう少し慎重に。
ラッキーな出来事に嬉しさ半分、自分の仕事のやり方を見直さなければと反省半分。
末吉の年らしいスタートを切る。



スポンサーリンク
わたし
スポンサーリンク
シェアする
隣の芝生
タイトルとURLをコピーしました