災害時のSNSと違和感

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 熊本での地震を受け、毎日のようにテレビやネットで流れるニュース、それに伴うSNS発信諸々。
心配と励まし、こうした善意の発信に違和感をおぼえる。
可哀想から生まれる感動や善意のエンタメ。
これは、何かしらの事件が起きた時にも思うこと。被害者や遺族の気持ちよりも先に、謎解きや事件解明に夢中になる。それをSNSにあげて視聴回数を稼ぐ、あるいはお金の掛からない暇つぶし。
あー、嫌だなと思う。被災地を思う私を演出するだけで、コストゼロで好感度と再生数が上がる。
可哀想の消費って、えぐい。
そんな私も、東日本大震災の時、SNSでそういったメッセージとともに募金をしたことを報告した。そうしたら叩かれた。募金が少なすぎると笑われた。ちょっとした炎上も起きた。その頃は今よりもっと私のSNS発信が注目されていたからこそ。
私が募金をすればみんなもするかもーなんて調子に乗っていた部分もあった事実。
あれから15年経ち、なんて浅はかだったんだろうと自分が恥ずかしくなる。何様のつもりだと。本当にあの頃の私はイタイ奴だった。

 発信することは難しい。
影響力のない私でもそう思う。なので、芸能人や有名インフルエンサーとかブロガーとか、そうした影響力のある人々はどういった感情で発信しているのだろうと思う。
そこに迷いはないのかと。
1000万円、ぽんと寄付出来る著名人。著名人だからどうしたってニュースになるしその影響力も大きい。自分には到底真似出来ることではないから、素直にすごいと思うしリスペクト出来る。
ただ、私が彼らのようにお金持ちで何十億も資産があれば同じ様に思うかといったら分からない。それでも、一番はお金の寄付の方が分かりやすく被災者からしても有難いだろう。
それに、自分に何が出来るだろうと悩みながら、でも実際は何も出来ない人の方が圧倒的に多いだろうから彼らの支援は更に際立つ。

 
 私がSNSで寄り添ったりエールを送ったり、でも翌日からはなんでもなかったかのように楽しい日常をあげている彼らの発信にもやもやするのはきっと、私にでも出来る範囲のコストのかからない支援だから。
つまり、人間は誰だって一番は自分で家族で、余裕があれば可哀想な人に手を差し伸べようという気持ちになる生き物で。それが悪いかといったら自然なことで。自分ファーストを隠して綺麗ごとにするから気持ち悪い。
自分が一番、次が家族や友達、その順番を崩してまで見知らぬ誰かに寄り添えるほどの聖人なんて稀だと思う。それを自覚しつつ、静かに募金をしたり日常を送ること。自分だけが安全圏にいるといった変な罪悪感から浅い善意を振り撒くのではなく、そのことを認めた上で、まずは自分の足元と家族をしっかり守り、自分の経済を回していくこと。それが健全な大人の距離感なのかなと私は思う。
こんなに頻繁に日本中で地震が起きている中、次は自分達の番かもーと被災地の様子を見て慌てて備える人々も多いだろうから、今の平和に胡坐をかかず、いざという時の準備とシミュレーションをし、そうなった時の被害を少しでも抑える対策を立てることも出来ることの一つではないかと思う。
 

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