さよならママチャリ

自転車 生活
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 12年もの間使っていた自転車。
子の幼稚園送迎からずっと。
パンクを何度もやったし、その度に修理にも出して来た。
まだまだ使えるーそう思い、通勤にも使う気満々だった愛車。

だが、ついに寿命を迎えた。


私と子の思い出が詰まっている

 子が入園の時からだから、10年以上。
よくここまでもったと思う。
まだ小さな子を後ろに乗せ、幼稚園送迎をした日々。
自転車チャイルドシートは劣化してもう使えないのに、なかなか外せずにいたことがついこの間のことのよう。
あれを外した時も、涙した。

色々あった。
泣きながら乗った日も、嬉しくて自転車ごとスキップしそうな日も。
いざお別れが決まると、その思い出は走馬灯のように巡り、ただただ切ない。
仕事が決まり、交通費が支給されないことでなるべく自転車で通勤しようと意気込んでいたのだが、なんだか調子が悪い。

 なんだかペダルが空回りしている風だし、妙な音がする。
仕事でほとほと疲れ果てていたけれど、このまま翌日も気にしながら出勤するのは避けたかったので、重い体を引き摺りながら自転車屋に立ち寄った。


「あーなるほど、ギアが劣化してますね。欠けてしまってるので交換ですかね。それと・・タイヤやチェーンもだいぶ痛んでますね。どれくらい乗ってます?」

「10年以上は乗ってます。」

「あーなるほどなるほど。そうですね、正直、買い替えされた方が良いかと。」

「修理するとなると、どれくらい掛かりますか?」

「んー見積り取ります?ただね、やっぱり安全面をお考えになった方が良いと思いますよ。自転車も生き物ですからね。いくらメンテナンスをしていても、やはり寿命はありますから。」


 彼はどうしてもこの流れで自転車の買い替えを決めて欲しそうだった。
恐らく、ノルマがあるのだろう。営業トークは止まらない。
ただ、私はこの自転車とお別れをすることになるのかというショックー、それに悲しさで胸がいっぱいだった。
それに、どうでもいいのだが彼の「なるほど」の口癖がどうしても気になり、なんだかその場に居たたまれなくなってしまった。


「そうですか。ちょっと検討させて下さい。」

 
 新しく買い替えるとなれば、夫に相談もしなくてはならない。
いくらママチャリとはいえ数万円するのだ。
うだる暑さの中、カラカラ音を立てながら自宅までの道のりを走る。
勿論、スピードを出さずにゆっくりと。事故にあったらたまらない。
うまく進まない自転車のペダルを漕ぎながら、お馴染みの通りさえが懐かしい。


就職祝い

 早速、夫に相談をした。
通勤に使うのなら、本当は電動自転車が良い。
だが、10万以上するし、そもそもそこまで稼いでいない身。
出世払いーということで買ってもらおうか。
しかし、夫はあっさりと、

「電動、買うか。就職祝いだ。ようやくまともな仕事に就けたもんな。」

ーえ?

 まさかの言葉に固まってしまった。夫の口からそんな言葉が出るなんて思ってもいなかったから。
ケチな夫、私の為にお金を使ってくれたのなんていつぶりだろうか。
しかも、こんな大金。結婚の時に貰った婚約指輪以来?
子が生まれた時だって、特にお祝いなんてして貰ってないのに。

「あなた、最近頑張ってるしね。これで仕事のモチベーションも上がるなら安いもんだよ。」

 怖い。
嬉しさよりも、恐怖が勝る。
そして、更なるプレッシャーを与えられた。
素直に喜べない自分にも嫌気がさすけれど、それくらい夫から受け取る情のようなものがないまま過ぎていた結婚生活。
だから、どう反応したら良いのかも分からないのだ。
それに、まともな仕事に就けたーと余計な一言を忘れない夫に嫌悪感もじわじわ湧いた。

「え?嬉しくないの?」

 私の反応が、夫の思う反応と違うことに難色を示したのか途端に機嫌が悪くなる。
慌てて、引き攣り笑顔を浮かべ、ぎこちないながらも感謝の気持ちを伝えた。



錆と傷は私達の歴史

 まるで、自転車がこの別れを知っていたかのように、自宅ドアに掛けられた掲示板のお知らせにドキッとした。
年に数回行われる、自転車撤去の通知だった。
撤去されたくない自転車に目印を付けておかなければ、指定日に業者が持って行ってしまう。
それが来月。
まだ日にちはあるけれど、いよいよ本当にお別れなのだと思うと切ない。
ふと、とぼけて目印を付けようかーなんて思ったり。
いやいや、もうこの自転車は寿命を全うしたのだ。お疲れ様ーと感謝の気持ちで送り出そう。
錆だらけのカゴ、それに至る所にある傷、どれもこれもが私と子の過ごして来た歴史なのだと思うと、それすら愛おしい。

ピカピカに磨いてお別れ

 なんだか大袈裟かもしれないけれど、私は運転出来ないが、車を手放す人もこんな気持ちなのかなと思う。
長らく生活を共にしてきた愛車とのお別れ。
数年で乗り換える人もいるけれど、10年単位にもなれば愛着も湧く。
そこには数多くの思い出が詰まっているから。
もう後ろに乗せることなど出来ない我が子を後ろに乗せた感触が、今、唐突に蘇る。
時は戻っては来ないけれど、キラキラした思い出はずっとずっと記憶に残る。
この自転車との思い出だって、ずっとずっと残るのだ。


さよなら、私のママチャリ。
今までありがとう。




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