休みの日の過ごし方

アイスコーヒー わたし
スポンサーリンク





 ようやく休みだというのに、なんの気力も湧かず、気付けばもうこんな時間。
それでもやらなくてはならないことは山積み。
待ったなしの家事。
幼い子を持つワーママに比べたら、自分の時間はある方なのだと思うけれど、それでも洗濯や掃除、食事作りは気分転換になるどころか荷が重い。
どうしたって、頭の上に重しが乗っかっていて、振り払おうとしても取れない。
こんなに外は明るいのに、どよんとした雨雲が常に身の回りをまとうような、そんな感じなのだ。

 

 昨夜も、翌日が休みーしかも2日間もあるというのに、よく眠れなかった。
あんまり寝られない日が続くので、こっそりサワーを飲んだのだ。
それが、逆効果だった。
ほろ酔いで寝付きは良かったものの、3時くらいに尿意で目覚め、そこから5時までコース。
ようやくウトウトしかけたところで、夫の出勤時間。
吉田さんが不在になってから、夫と犬塚さんは休日も無い。
たまった事務仕事を、オンラインで彼女に聞きながらなんとか綱渡り状態で業務をこなしているようだ。
なんとか重い体を引き摺って、朝食を作った。
平日はパンばかりなので、久しぶりの和定食に夫も満足しているようだったけれど、その満足げな顔すら鬱陶しく感じた。

 

 ここにきて、向き不向きについてよく考えるようになった。
憧れと努力だけではどうにもならないことがあるんじゃないかって。
休みの日なのに、楽しく過ごせない。
切替がまったく出来ない。
それでも家族の為に必要な日用品や食料品を買いに行き、ふと店のガラスにうつる自分の姿にウっとしてしまう。
やつれて老け込んだその丸い背中、それに破棄の無い顔、まるで、幽霊が歩いているよう。
仕事の日は、辛うじてきちんとした格好をしているのに、休みだと日焼け止めクリームにマスク、そしてシャツとジーンズ。
あんなに綺麗にカットして貰った髪も、今はもうボサボサで一つ結びという状況。

 スーパーで商品を選べば、パートの主婦らが楽し気に会話をしながら野菜を並べている。
あんなに嫌で仕方が無かった惣菜パートを思い出す。
あれはあれで大変だったし苦痛だったけれど、今の仕事のような「圧」は少なかった。
毎日がただただ猛スピードで過ぎて行き、皆の仕事のスピードにはついて行けず、右往左往で邪魔もの扱い、時に「空気」のように扱われたけれど、疎外感はあったけれど、でも種類が違う。
苦痛の種類が全然違う。

 

 気分転換。
折角の休みなのだーと、本屋と併設されているカフェに立ち寄った。
アイスコーヒー一杯350円。
ふと、家で作って飲めると思うと躊躇ってしまう。
働いているのに、こんなに苦しんでいるのに、そんな小さなご褒美まで勿体ないと感じるのは、気力の問題。
きっと、ここで休憩したところで、心からのリフレッシュは望めないと分かっているから。

美味しいー
楽しいー
嬉しいー

そういう「感覚」が得られない。余裕が無いのだ。
今の私の癒しは、ツイッターで同じ境遇の辛い人達のつぶやきを眺め、自分だけじゃない、そうやって自らを励ますこと。
それで幾分、孤独も和らぐ。





 







 

タイトルとURLをコピーしました