LINEよりも電話、電話よりも手紙

封筒 わたし
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 来週まで、夫の事務所へ行く用事もない。
本当なら、連チャンで引継ぎを受けた方が仕事も覚えるのだろうけれど。
月末締めの関係でバタついており、教える時間が無いのだと言う。
要するに、そういった締めの仕事も引き継いではくれないのだろう。

心がモヤモヤすると友達に会いたくなる

 コロナがきっかけで、学生時代の友人とも会わなくなった。
同窓会の誘いもめっきり無くなり、あってもまあ行くことはないのだけれど、少し寂しい。
誘いのラインから、近況報告に繋がることもあるのだ。

 ちょっと話したいな、なんて気になるのは、ここ最近の自分の身の回りに起きている変化からだろう。
環境がガラリと変わった私には、「話したいこと」があるのだ。
特に、夫のことを「モラ夫」と呼び一緒になって文句を言ってくれるかおりは、唯一、自分のことを話してスッキリ出来る大事な友達。

 早速、彼女にラインを送ろうとするが、友達リストに彼女の名前がない。
どういう訳か、どこにもいない。
仕方がない、スマホの電話帳を眺める。
スクロールをすればあっという間に「かおり」に辿り着く。
ラインではなく電話ーと思ったけれど。
営業畑でバリバリ働いている彼女。商談中だったらと思うと迂闊に掛けられない。
ちょっと迷って、電話はやめた。




手紙をポストに入れるまでの工程

 何の予定もない昼下がり。
ふと思い立ち、手紙を書こうと決めた。
戸棚から、随分前に買った夏っぽいレターセットを取り出す。
引っ越し前のママ友宛に使ったきり。
手紙を書くとなれば、部屋を片付けよう。綺麗に整った風通しの良い部屋で、気分の音楽を掛けながらアイスコーヒー傍らにしたためたい。
なんだか急にやる気が起きて、バタバタと掃除や食器洗い、それに拭き掃除まで。
ピカピカになった部屋に、外から5月の爽やかな風が舞い込んでくる。
テーブルに便箋を置き、背筋を伸ばしてペンを取った。

 ー元気かな?
ラインをしようとしたら、友達リストから消えてたので手紙を書くことにしました。
花子も高校生になって、私も子育てだいぶ楽になったよ。
最近では、旦那の仕事を手伝うことになって辛いのなんの。
色々話したいことがたくさんあって、コロナも落ち着いたしランチでもどうかなって。
勿論、前みたいにオンライン飲み付ランチでもOKだよ。

 そこまで書いて、ふーっと一息。
なんだか字が汚いし、もっと書きたいことはたくさんあるはずなのにうまく文章化出来ない。
話せばものの10秒程度で済むことを、手紙はその何倍も掛かる。
なんとか書き終わり、宛先を書こうとして気付く。
彼女の住所ってー
押し入れから年賀状を探すが、去年や一昨年は喪中だったのかやり取りしていない。
数年前の年賀状ハガキを引っ張り出すが、夫のと混じって探すのが大変。
髪を振り乱して、ようやく見つけたのはもうだいぶ昔の年賀状で、かおりの末っ子がまだお腹の中にもいない頃の家族写真付きハガキだった。
宛先住所を書いて、そして切手。
ここでまた切手が無いことに気付く。
いや、あるにはあるのだけれど残念なことに84円ではなく63円切手だ。
ポストは家のすぐ傍にあるのに、84円切手を買いに更に遠くの郵便局かコンビニへ行くのが面倒だ。
しかし、天気も良いし、これは散歩がてら外に出ろと神様からのお告げだと思い、渋々だけれど買いに出ることにした。

手紙に費やした時間は2時間

 なんだかんだで、手紙を書こうと思い立ってから実際にポストに投函するまでに2時間かかった。
これを多いとみるか少ないとみるか。
いや、そうじゃない。
お金では代えられない「時間」を相手の為に使うこと。
それこそが、思いを込めるということ。
恐らく、かおりからの返事は手紙ではないと思う。
それでもいい、私にはこうして手紙を書ける相手がいるのだから。

 手紙を書くこと。恐らくそれは自己満足。
それでも人は、手紙を書く。
時間もコストも掛かるけれど、ポストからそれを取り出す時の相手の顔を想像すると、心温まる。
面倒な手段を取ってでも繋がっていたい相手とは、細々とでも長く続くのかなと思う。






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