後悔の無い人生

彼岸花 わたし
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 仕事帰りー
今日も、ミス連発。
それに、もうすぐ試用期間も終わるというのに、いまだ求められている成果を達成出来ない。

「焦らなくていいので、ミスしないようにやって下さい。」

 仏の顔を何度も見せていてくれていた小川さんに、珍しく険しい顔で言われたことが堪えた。
電動自転車のペダルが重いと思ったら、電源を入れずに漕いでいた。
スイッチを入れるが、ランプが点滅。
充電がうまく出来ていなかったのか、電池が切れてしまった。こうなると、普通のママチャリより重い電動自転車はしんどい。
仕方が無く、漕ぐのを諦め手押ししながら歩く。
与えられた仕事が終わらず、昼までシフトだったのだけれど延長して何とか終わらせてきた。
午後4時ー
ランドセルを背負った子ども達がぞろぞろと通学路を歩いていた。
ぼんやりその列を眺めながら歩いていると、子ども達の群れの中に車椅子がより一層遅いスピードでこちらに向かってくるのが見えた。
私と同世代のエプロンを付けた女性に押されている。


ーどこかで見たようなー


 見覚えがある老女。
遠い記憶を呼び起こし、脳みそをフル回転させる。
仕事で疲れ切った頭だけれど、稲妻のようにビビッと閃く。


ーあの人だ。あの、お婆さんだー


 間違いない、あのお婆さん。別棟に住む、おはぎをくれたあのお婆さん。

すっかり痩せこけ髪の毛も少なく、何より覇気が無い。
焦点の定まらない目。
しかし、近くまで来た時にばっちり目が合ったーような気がした。
それなのに、つい反らしてしまった。
知らない振りで通り過ぎた。
振り返る勇気も無かった。


「こんにちは!」


 その一言が出なかった。
怖かったのだ。
無視されることーいや、彼女の頭の中に、私はもう存在しないという事実を知ることが。
よぼよぼしながらもおはぎをお裾分けにくれた時の瞳の輝き。
それが、無かった。
私の取り越し苦労かもしれないけれど、認知症を患っているような気がしたのだ。
あのエプロンを付けた人は、きっとヘルパーだろう。
でも、確か一人暮らしだったはず。

帰り道、彼女の住んでいた棟に寄った。
バルコニーを覗くと、お婆さんの住んでいたはずのバルコニーには、小さなTシャツや半ズボン、それに男性服や婦人服が干されていた。


 この数年の間に引っ越したのだろう。
施設なのか、子ども夫婦のところなのか?知る由もない。
ただ、あの虚空を見つめる瞳に向かい声を掛けなかった自分を悔いた。


時は、流れる。
無常にも、どんな人にも平等に。
次、もし出会えたらー、今度こそ声を掛けよう。
小さくても、後悔という染みをこれ以上増やしたくない。





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わたし
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