薄くて濁ったオブラートに覆われている。
もがいても、叫んでも、その膜は溶けない強固さを持つ。
飲み込めば、喉元で引っ掛かって吐き出しそうになる。
それが、自分にとってどんなに良いものなのか知っていても、その苦さを受け入れられない。
言語化出来ない、伝わらない、この思考を持て余して生きている。
今週末、夫が高校時代の部活仲間とキャンプに行くと言う。
最近、仕事同様、資格試験の勉強も煮詰まっていて、気分転換を兼ねてだそうだ。
新婚時代は私も誘われたことがあった。
一度、無理して参加したことがあったけれど、その内輪の空気感にまったく馴染めず、かえって夫を不機嫌にさせた。
子が生まれてからも一度だけ参加したけれど、やっぱりどうしてもあのノリに馴染めず、母親のそれが子に伝染したのかぎゃん泣きで大変だったことを思い出す。
夫がまだ幼い子を抱き上げ、女友達のところに持って行き、取り残された私は肉を焼いたり野菜を切ったりといったこともさせて貰えず、ただ一人ぽつんとアウトドアチェアーに座り、時が過ぎるのをひたすら待っていた。
遥か昔の出来事なのに、あの時の肌をジリジリと焼くような暑さだったり、蚊に刺されて痛痒かった唇の端っこが今も尚、私の脳裏にこびりついて離れない。
もう、来なくていいよーと言い放った夫の冷たい横顔も。
私がパートをたった一週間で退職したことを伝えると、ふっと空気を吐いてこう言った。
「あなた、何か一つでも人生で頑張ったことある?花子も見てるんだよ、母親のそういうところ。」
夫に言われなくても、分かっている。
だが、他者にその現実を突き付けられると精神的に堪える。
それがまた、我が子に影響しているかもと薄々感じていたところにこの一言。
グサリと刺さった。
夫はなんだかんだで頑張っている。
自己実現の為かもしれないけれど、事実、私や子を養っている現状においては「家族の為」でもある。
パートを一週間で退職した私と、脱サラし、昼夜問わず仕事に追われながらも休日は資格の勉強に充てている夫と、どちらが頑張っているかと言えば、後者。
そして、適度な息抜きの仕方も知っている。
私と違い、交友関係が広い夫。
いつからか、夫に対しても自分と比較し、落ち込むことが多くなった。
不毛な時間だと分かっていても、比べる癖がいまだ抜けない。
子が、昨日、早退した。
今朝は時間通り登校したけれど、また家に戻って来るかもしれない。
それを言い訳にするでもないけれど、パート探しが難航している。
今は子ども。
そう思う一方で、それを自分の逃げ道にしてはいないかと。
私の芯は、いつもブレる。
その方が楽だから。
気付けば沖に流されて、海岸に戻れない。