降り続いていた雨はやみ、今日は晴天。
窓を開けると、GW目前の浮足立つ爽やかな空気が部屋の中に入る。
夫は仕事に出たけれど、子と2人きり。今日はゆっくりと過ごしたい。
1週間の疲労がたまっているのだろう。
子は10時過ぎまで布団にくるまって出て来なかった。
遅い朝ごはんーホットサンドを食べ、再び自室のベッドでゴロゴロとしている。
金曜、帰宅してからも元気が無かった子。
色々と聞きたい気持ちを抑えながらも、子の好物のおろしハンバーグを夕食には出し、ちょっと奮発してハーゲンダッツのデザートも用意し、じっと子の方から何か話してくれないかと待っていたけれど何もなく。
なるべく親の心配が伝わらないよう、子の前ではなんてことない風に過ごしている。
一人っ子だと比較しようがない
我が子は昔から、こんな感じ。
子どもの性格によっては、あけすけに学校のことや友達のこと、なんでもかんでも親に話してくれる家庭もあるのかもしれないけれど。
子は私に似ている部分があるのか、本音をあまり語りたがらない。
男の子だとこんな感じなのだろうか?
兄弟がいれば、それぞれ比較することでこの子の性格によるものなのだーと納得出来るのだけれど、一人っ子だと、親の方にも原因があるのではないかと不安になる。
私が、子に「話しやすい環境」を与えていないのではないかーと。
子の性格についてもだ。
長所は置いておき、短所と認められる部分については、私の生き方や接し方が彼女の性質に影響を与え、本来生まれ持った健やかな部分でさえ100%うまく生かされていないのではないかと。
もし、子とまるで正反対の性質を持つ兄弟がいたら、ネガティブな部分含めて子の性質だと割り切れたのかもしれない。
アダルトチルドレン
友達親子なんて言葉を聞く。
お互いに、まるで友達のように自分の身に起きたことや思ったことをポンポン言い合える関係。
母親の愚痴や悩みー、そして子ども自身の問題についてもお互いが共有し合う。まるで一心同体のような。
そんな関係性の親子がいると聞く一方で、私達、母娘はそういう関係には程遠い。
それは、私が意識的に子とそのような関係性になることを遠ざけていたからだ。
私は、実母といわゆる「友達親子」の関係性だった。
あくまでもそれは、母側からしたら。
母は、私が小学校低学年くらいから、父や祖母の愚痴、親戚の悪口、近所付き合いのゴタゴタについてを家の中―特に私と2人きりの時にぶちまけては発散していた。
私はそういった愚痴や苛々を静かに受け止め、幼いながらも母がそれでスッキリするのならと「聞き役」に徹していた。そう、愚痴のゴミ箱にされて来た。
ママ友付き合いでのいざこざについても、今こうして大人になり思い返せば、母の自己中心的な我儘によるものだと思える。
それでも、「母が正しい」「周りがおかしい」「母は頑張ってる」と母を肯定し励まし続けた。
そうしていればいずれ嵐は過ぎることを知っていたし、私が母の「味方」であることで母はそれなりの「愛情」を返してくれた。
「あんたは本当、いい子だね。冷蔵庫にシュークリームがあるよ。一緒に食べよう。」
しかし、高学年になる頃には矛盾ー、どうしても母の言い分がおかしいと感じることが度々あり、子どもながらに母を修正しなければーという焦りから意見をすることもあった。
だが、母は顔を真っ赤にして怒りの矛先を容赦なく私に向けた。
「あんたはあの婆さんにそっくりだよ!暗くて底意地が悪くて、やっぱり血だね!私達が別れたらあんたはあっちの家に住めばいいんだよ!あー、あんた見てると婆さんといるようでゾッとする!」
そんな風に返される。
大抵、私が母の納得するようなリアクションを取らないと、彼女が嫌悪する父方の祖母を引き合いに出す母。祖母と私がそっくりだと罵るのだった。
それが子ども心にとても辛く、祖母と一緒だと言われれば私の存在を全否定されたようで悲しくなった。
すがるように、母の機嫌を取り戻そうと、一緒に祖母の悪口を言うようになった。
祖母のことは好きでも嫌いでも無かったけれど、血の繋がる祖母について悪く言う、また父の母である祖母をけなすことは、いくら母だけの前だとしてもきつかったし、罪悪感を伴った。
虐待された訳でもないのだけれど、あの精神的苦痛はいまだに思い出す度に胸が痛い。
相談役を担い理想の娘を演じる
家族の中で、自分の存在を認めて欲しくて、特に母に認めて欲しくて、とにかく母の相談役に徹することにした。
母は、父や親戚やパート先との関係で起きたトラブルやいざこざ、そして不満を、真っ先に私に聞かせてくれる。
それが子ども心に頼りにされている、必要とされている、母にとって私はなくてはならない存在なのだと思って来たし、愛情を受けているのだと錯覚し続けて来た。
世間や一般常識のことなどまだよく分からないうちから、そうした聞き役に徹することは骨が折れたけれど、そうすることでしか自分の居場所を保てなかったのだ。
母は、私についても干渉が酷かった。
なので、私は適当な母が喜びそうな作り話でその場を凌いだ。
本当の悩みなんて、一度も打ち明けたことなどない。
母にとって有益な情報のみー機嫌が良くなるような楽しい話をすればいい。
弟に手が掛かり、私には優等生でいて欲しかっただろう母の為、私は丁度良い塩梅でそこまで深刻ではない悩みを打ち明けたりしながら友達親子を演じ続けて来たのだ。
結婚し、実家を離れたことでそうした関係は少し薄らいだように思える。
それでも過去に受けた傷やストレスは無かったことに出来ず、私が抱えるゴミ箱の中には今も尚、解消出来ない母の鬱憤が蓄積されているのだ。
親子関係に正解などない
そうやって、自分が辛かった経験を我が子にさせたくない思いから、夫のことや義家族、そして実母のことや弟のこと、近所やママ友関連などの悩みは一切我が子に打ち明けたことがない。
子からしたら、何の悩みもないお気楽な母親だと思われているのだろうけれど、それが私が子にしてあげられる愛情の形。
じっと見守り続ける。
温かいご飯を出す、家ではほっと出来る空間を作る、注意深く子のわずかな変化を見逃さないようにする。ヘルプがいつ来ても対応出来るよう、常にスタンバイしておく。
ただ、これが正解なのかは分からない。
しかし、私なりに出来る最善の努力をするしかない。
もしかしたらこの方法は間違っているのかもしれないけれど、子が何か話したくなった時、それがどんなくだらないことだとしても手を止めて耳を傾ける。
傾聴することー、その積み重ねでもしかしたら本当の本当に言いにくい悩みを語り始めてくれるかもしれない。
ただただ待つのはしんどいけれど、いつかその時が来たら、遮らずアドバイスせず共感しつつ受け止められたらと思っている。