お裾分け無限ループ

ラム肉 生活
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 昨日夕方、チャイムが鳴り出ると針金さん。
ミントグリーンの夏ワンピースに身を包み、飛び切りの笑顔。
マスクはしていないので、彼女の口元につい目が行く。
決して美人ではないのに、キュートな雰囲気を持つのはきっと、この口元。
ハッピースマイルー、歯並びが良く真っ白な笑顔の似合う口元なのだ。




お裾分けのお返しのまたお返し

 「この間の桃、とってもジューシーで美味しかったわ。そのお返しといったらあれだけど、ラムって苦手?これ、とっても美味しいお店のジンギスカンなの。良かったら。」

 ずっしりと重い肉。
正直、私はラムが苦手。だがこの状況で苦手ですなんて言えないし、笑顔で受け取った。
それに、またお返しを考えないとなーと少々面倒な気持ちにもなっていた。

 「あと、今年は梅のお裾分け出来なかったけど。美味しい梅酒も出来たから良かったら。」


 瓶に入った梅酒をいただいた。
夫もあまり飲まない梅酒。以前、大量に貰った梅を捨てることになってしまった罪悪感が再び湧いた。



物々交換の慣習

 針金さんは、いつもお裾分けをくれる時に、

「夫婦2人だと食べきれなくてね。田舎の風習がどうも抜けなくて。」


 お決まりの台詞、口癖のように。
彼女の実家は地方らしいけれど、そこではこんなやり取りが当たり前だったのだ。
物々交換ーかぼちゃを貰ったらすいかを返すだとか。
彼らの間にある「信用」と「善意」が生み出す関係性。
そんな慣習が今の彼女を作ってきたのかもしれない。
人と人との円滑なコミュニケ―ションは、一日にしてならず。
本人の性質もあるのだろうけれど、育った環境にもよるのだ。

田舎には住めない

 田舎には住めないな、と思う。
赤の他人との、まるで家族のような信頼のおける関係性に憧れることはあっても、どうしても一線を越えられない。

小さな島では、夜でも構わず玄関や窓を開け放していると聞く。
防犯なんて言葉とは無縁な世界。
日中、まるで自分の家のように他人が上がり込み、ついでに畑で取れた収穫物をお裾分けし、お喋りとお茶を楽しんで帰っていく。馴れ合いの関係に必要以上の遠慮や気遣いは要らない。

私が無理だと思うのは、どうしても気を遣ってしまうから。
針金さんから何かを貰えばすぐに、何を返そうか、いくらくらいするのか?お返しに間を空けるのは良くないと勝手なプレッシャーに圧し潰されそうになる。
素直にありがとう!と受け取る、それだけで相手は満足してくれるのだと思えたらどんなに楽だろう。
しかし、どうしたって疲れてしまうのだ。
だから、私に田舎暮らしは難しい。





ジンギスカンと梅酒

 ラムが苦手な私。
だが、折角いただいたジンギスカンの肉は有名店のもの。
しかも最近は夕飯を作る気力が無く、ただもやしなど野菜と炒めれば一品が出来上がる。
夫は梅酒に興味を示さなかったが、ジンギスカンはものすごい勢いで平らげた。
子も、最初はその独特な臭いに顔をしかめたが、一口食べたら美味しい!と箸を進めた。

「ラムはピンキリだからな。まずいヤツは食えたもんじゃないよ。」

 ビールをぐびぐび飲みながら美味しそうにジンギスカンを食べる夫や子を横目に、私はちびちび梅酒を飲んだ。

「いつもいただいてばかりだから、何かお返しをしないとで。お中元で何か貰ったものとかない?」

「あー、探しとくわ。」


 貰ってばかりなのは心苦しい。
相手は見返りなど求めてなく、ただの善意だったとしても。


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