大学全入時代により淘汰されゆく短大

大学 わたし
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 パート応募時、履歴書の学歴欄最終行に記す学校名。
私は短大卒なので、それが輝かしい最終学歴となるのだけれど。
いよいよそれも終わりを告げるのか。
ネットニュースで募集停止を知り、酷く動揺した。
四大に入れなかったコンプレックスもあり、自分の出身校に愛着なんて無かったはずなのに、まるで半身をもがれたかのように愕然としている。


短大時代は勉学に励む優等生

 私の短大は、偏差値は高くないけれど割と人気のある学校だった。
当時、学力と経済的理由もあり、取捨選択で短大に通うことになった私は腐っていた。
四年制大学も無理、就職も無理、専門ーなんてやりたいことも浮かばない。
最後に残ったのが、短大。
実母も、短大名が四年制大学としても有名なので認めてくれた。
ただ、パート仲間やご近所に、OO大学に通ってて~と短大と言わずあたかも四年制に通っている風に吹聴するのには嫌悪感を抱いたけれど。
そして、それをすごいわね~と言われても、否定せず曖昧な笑みを浮かべ誤魔化す自分にも嫌気がさしていたけれど。
要するに、短大だが大学としてはある意味ブランド力があった。
なので、他大インカレサークルなどからの勧誘も多く、女の子達は合コンに参加すれば、男子学生からは引く手あまたといった感じ。
有名国立四年制大学に進学して欲しかった親の期待は裏切ったものの、ちゃらちゃらした同級生達の中、私は友達も作らず真面目に授業を受け、課題を提出し、そして卒業後は大企業のOLになるのだー(限りなく狭い推薦枠)と、息巻いていた。
そんな私の短大時代は、今思えば一番売り時だったはずなのに。
メイクもせず流行りの服を着ることもなく、すっぴんが綺麗と言われる程の肌でもないのに素のままに自分を好いてくれる王子様が表れるだろうと根拠の無い自信に満ち溢れていた。

 たった一人、友達らしき子はいた。
今思えば、利用されていただけなのかもしれないけれど。
彼女はよく授業をさぼって遊びに行ったりしていたし、テスト前になるとすり寄って来てランチを一緒にしよう!なんて誘ってくるのだ。
気まぐれに、恋愛相談なんかもされた。
バイト先の店長と良い仲になっているらしく、しかも奥さんがいるという。
当時、平坦な日常を過ごしていた私にとってそれは、どんなドラマや漫画、小説よりも刺激的で楽しい話だった。
クラスでも一目置かれている彼女と時々でも行動していた私は、そのお陰で変に浮かずに済んだのだと思う。
友達はいなくても話せる子はちらほらいたし、学校内で私のように単独行動をしている子がまあまあいたので、今よりも孤独ではなかった。




初めての彼氏

 時々出て来る、元彼ー
それが、この時期知り合った男性だ。
彼とは、その子の主宰する合コンらしき飲み会で出会った。
少しはお洒落しなさいと、合コン前に渋谷の109で服を買わされ、メイクをし、顔も体中もむずむずと得体の知れない違和感を感じながら参加した飲み会。
そして、カラオケ。
私は人前で歌うことなんて絶対に出来ないので、ひたすらドリンクを飲んでいた。
それはアルコール入りだったのだけれど、まだ酒に弱かった私は悪酔いしてしまい、その介抱をしてくれたのが彼だったのだ。

 ありきたりな出会い。だがそれは、私の人生にとって特別で、今も尚、お守りのような記憶なのだ。
元彼は大学生。
浪人していたので、私とは同級生だった。
彼もその飲み会は人数合わせで連れて来られたそうで、明らかに他の男子とは毛並みが違って落ち着いていた。
その頃に流行っていた映画の話題で、一気に仲が深まった。
次に会ったのは、渋谷映画館の前だった。




短大が消えることで過去も消えてしまうような喪失感

 短大が閉校したところで、私の過去は消えない。
頭では分かっているのに、なんだか自分の歴史の一部が削除されるような、そんな喪失感が付きまとう。
 短大時代の知人とは、一切、連絡を取っていない。
元彼と引き合わせてくれた同級生とは、卒業式を最期にメールすらしていない。
名前すら、パッと出て来ないのだ。
短大に知人はいたけれど、頻繁に遊ぶような子は出来なかったし、それでも私には元彼がいたからそれで充分心は満たされていた。
青春時代ー、友達よりも初めての恋愛にどっぷりと浸かっていたのだ。
それに、彼もそんな私を面白がってくれた。
むしろ、強いと言って褒めてくれた。
別に、一匹狼を気取っている訳でもないのに、「ぼっちの可哀想な人」ではなく「敢えて一人でいたい孤高の女性」として扱ってくれた。
コミュ障で人との関わりが苦手なありのままの私を、一人の人間としてー、しかもそれを長所として受け入れ、尊重してくれたのは、人生で彼が初めてだったのだ。

 短大が消えることで、私の学歴が云々の前に、元彼との大切な思い出までもが消えてしまうような、そんな寂しさをおぼえる。




知名度の高さと学校ランキングは比例する

 最近、進路調査のあった子。

「パパの大学、ランキング上がったね。」

 毎年出る、大学ランキング。
夫の大学は名の知れたところなので、必ずランキングに入る。
何かと子は、父親の出身大学を気にしている。
偏差値などもこっそり調べ、今の自分の学力では到底及ばないことも分かっている。
それでも、もしかすると親の母校に入学したいという気持ちが少なからずあるのだろうか。

「ママの学校は、ある?」

「うーん、ないね。」

 そもそも、大学ランキングなので短大が載っているはずもない。
その代わりといったらなんだが、HPを見せようとスマホで学校を検索した。
懐かしい校舎の写真にほっとすると同時に、しかし「お知らせ」に閉校の文字を見付け悲しくなる。
そっと画面を閉じ、

「今、大学も厳しいからね。」

「え?何、急に。」

 独り言のようなつぶやきを子に向けて発してしまった。
少子化により、大学全入時代を迎える。
短大だけではなく、女子大、また地方の四年制大学もどんどん淘汰されていく。
時代の流れには逆らえない。
人も物も企業も学校も、社会の中で、不必要なものは無常にも排除され、より優れ必要とされるものだけが生き残っていく。







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隣の芝生
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