発信するということ

魚 わたし
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 私は、人に自分の気持ちを言葉にして伝えることが苦手。
理路整然と話せないし、ぽっと頭に浮かんだことをまとめるそばから忘れて行く。
文章で一方的に発信する方が、性に合っている。
何度も修正出来るし、時間を掛けて気持ちを吐き出せる。目の前に相手がいない分、リラックスして本音が書ける。恰好付ける必要も無ければ、相手のリアクションを気にしながらビクビクすることもない。

 話上手な人に憧れる。
最近はご無沙汰だけれど、子の学校行事で必ずあった懇談会での「一言」には苦労させられた。
緊張して頭が真っ白になるし、言いたいことの半分も伝えられない。しどろもどろの自分の声が自分の耳に入れば入る程、それを胡麻化そうとパニクっておかしなイントネーションになるし周囲の視線も怖い。
だから、これまでママ友が出来なかったのかもしれない。コミュ障にとって、あの場は地獄だし、あの姿を見たらお近づきになりたいとは思わないだろう。
そうして、ランチまで漕ぎつけたママ友になれそうな人達とも疎遠になり、今に至る。


 そんな中、先日、スイミーの頃から読んで下さる読者の方からコメントをいただいた。
子に初めてスイミーを読み聞かせしたのは、まだ園児だった頃。
親子セットで動かなければ、子どもに友達が出来なかったあの頃。相当辛かったし、自分だけぼっちならまだしも、私のせいでぼっちにならざるを得ない子が不憫で仕方が無かった。
高校になり、親子セットの影響は無くなったけれど、育て方や親から引き継いだ気質により友達作りに苦労している我が子を前に、ここずっと気持ちがずんと落ち込んでいたのだ。
そんな時にいただいたコメント。
とても、とても嬉しかったし励みになった。
そして、もう10年以上も私の些細な日常を見守って下さっているのだなと思うと、胸が熱くなった。


 仕事も決まらないし、最近ここに綴っていないけれど、夫とはうまくいっていない。おぼろげにあと10年もすれば離婚するのだろうなーと思っている。
両親は年老いて更に愚痴っぽくなり、弟は相変わらず。実家のことも考えなくてはならない。 
誰にも相談出来ないし、この心のうちは自分の中で解決するしかないとも思っている。
わーっと、いったん悩みを忘れて遊びに行く友人もいないし、気軽にランチ出来るママ友も近所にいない。
そういえば、引っ越し前のママ友とももうしばらく連絡を取り合っていない。
唯一、中高校時代の友人かおりともだ。
人恋しいけれど、こちらから連絡するだけのエネルギーが湧かない。なんだか面倒なのだ。
こちらが連絡したタイミングが相手にとっては手が離せなかったり気分ではなかったりするかもーと、色々な事情を想像して萎えてしまう。お互い同じ熱量でーなんて、無理な話なのに。


そして有り余るもやもやのエネルギーは、ここで発信することでなんとか自分を保っている。
吐き出した心の内を、受け止めてくれる人がいる。
私じゃない、客観的な考えにはっとさせられる。タイムラグが生じても、それは「対話」だと思っている。

  
ありがとうございます。今日もまた、頑張れそうです。





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