40代主婦のブランクあり職務履歴

タイプライター わたし
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 子の受験が終わったことで、再び就職活動をしなくてはならなくなった。
今後を思うと、このまま専業主婦でいられるわけもない。
夫からの圧も感じるし、とにかく行動をしなくてはと、求人情報に食い付く日々。

女性が抱えるライフスタイルの流動性

 男性にはない、ライフスタイルの流動性。それが働く女性にとっては一つの弊害だ。

まずは、結婚するかしないかの分岐点。
結婚を選択すれば、子どもを産むか産まないかの選択を迫られる。
そして、そこにはタイムリミットがある。
子どもを授かり、喜んだのも束の間。
今度は仕事を続けるかどうかの選択。
続けると選択したらしたで、いくつもの壁が立ちはだかる。
産休育休の取得や保活、また事前にシミュレーションをし万全の対策を取っていたとしても、出産までには想定外のことが起こる。
予期していなかった退職を選択せざるを得ない人々が多く存在する現実。

一旦、仕事から離れたら同じレベルでの社会復帰は困難

 分かり切ったことだけれど、子どもを持ち働くということは言葉にする以上に大変なこと。
今でこそ、ワーママという言葉は定着しているけれど、私が子を授かった時は、今より働く子持ち主婦は多くなかったように思う。

 私は不器用な人間なので、初めての家事育児が精一杯。
これに追加して仕事をーなんて無理な話。
それでも、子が赤ちゃん時期を過ぎて、幼稚園に通うようになった頃。
夫や親戚から「働かざる者食うべからず」のプレッシャーを受けるようになり、ようやく重い腰を上げることになった。
 まずは、手始めに短期パートなど応募してみたりもしたが、結婚してから数年間のブランクは、私の社会的評価を徹底的に下げ、不採用の通知が続くと、求人に応募するモチベーションも下がる一方だった。

40代の仕事探し

 結婚し、専業主婦となり、自分の身体のことを考えると立ち仕事はきつかった。
長く続ける為には、身体が楽な仕事ーとなると、どうしても座り仕事が良い。
しかし、パートといえどもデスクワーク系は大人気。
私は、簡単なデータ入力等メインのパートを探し、これでもかというくらい応募したのだが、全滅だった。
採用枠に対しての応募人数が多過ぎたのと、私にこれといったスキルもなければ若さもなかったからだ。
 それでもしつこく応募し続け、視点を変えてみた。
「期間限定」のデスクワークだ。
少しでも次の仕事の足掛かりになればと選んだ仕事。
どうせ無理だろうと諦め半分で応募したのが通った時は嬉しかった。

 期間限定だからこそ、業務ボリュームは多かった。
その職場にとってみたら、繁忙期で人手の足りない時期の穴埋め的役割を果たさなくてはならない。
短期だし、もっと簡単な仕事が待っていると思っていたが甘かった。
結果、一か月程のバイトだったにかかわらず、力尽きてしまった。

在宅ワークの道

 後に、数年間のブランクを過ごすことになった。
次第に虎の子が少なくなることの不安が増した。
夫の稼ぎから出せないお金。実家への援助金。それに、自分の身の回りの物や嗜好品。
僅かでも、自分の自由に使えるお金が欲しい。
たった数百円でもー、藁にも縋る思いで始めた在宅ワーク。

 今でこそ、在宅ワークという言葉は私達の中に浸透しているが、当時はまだ物珍しく、それに詐欺まがいのものも多く混在していたので始めるのは勇気が要った。
だが、専業主婦で夫からお金を貰うのは最低限のやり繰り費のみ。
実母と会えば、毎回5000円は飛ぶ。
義実家のように、親が出すという感覚が無い実家。
安いファミレスが大嫌いな母に、ちょっと良い店でご馳走する。
それで母の心が満たされていたかは分からないけれど、何もしないよりした方が私の気持ちが楽になるのだ。
また、長女として、実家の援助金やお祝い金もそれなりの額を出さなくてはならず、そういったまとまったお金を出すのも限界を迎えていた。
その時期に見付けたのが、クラウドソーシングサービスだ。

 自分で稼げたらー少しでも、小遣いくらいでも自由に使えるお金があれば生活に余裕が生まれる。
色々と下調べをしつつ、安全そうなクラウドソーシングサービスに登録し、ライター内職を始めた。
その一つが、「ランサーズ」というサイト。

クラウドソーシング「ランサーズ」


 400文字で100円いくかいかないかの世界。
しかし、私のような取り柄のない専業主婦でも報酬を得ることが出来るし、またこのサイトは普通の企業も多くクライアントとして仕事の発注をしていることから信頼が置けた。
 子が幼稚園に通う最中、必死で文章を書いた。
クライアントからのお題に従い、必要なキーワードを使い、何度も何度も修正を重ね提出してもダメ出しされる日々。
誤字脱字のチェックは勿論のこと、重複している記事が無いか、クライアント独自のマニュアルに従っての記事作成は神経も使うが目も使い、一日中PCに張り付いていた挙句、視力は落ちた。
初めて稼げた「300円」。これがとても嬉しく感激した。
調子のよい時は、1時間作業して800円~。子が幼稚園の頃は、園まで送り届けると自宅に戻り、家事をしながらも4時間程で5000円~稼げることもあった。つまり、実母との交際費分だ。
この時、だいぶ気持ちが楽になった。

 子が小学校に上がればもっと自由な時間が増え、それに比例するかのようにクライアントも増えた。
運良く、良いクライアントに当たれば効率的に稼げたし、時にそれが続けば勘違いも働いて、このまま外で働かずとも永久に在宅ワークでいけるかもしれないという根拠のない自信すら湧いた。


 だが、この世界もそう甘くはなかった。
やはり、文字だけで行われる、クライアントとのコミュニケーションに限界を感じて来たのだ。
クラウドソーシングでの在宅ワークは、目に見えないクライアントとのコミュニケーションスキルを要するもので、対面よりも気楽なものかと思っていたのが大間違い。
目の前にいない相手とのコミュニケーション程、そのスキルは問われる。タイムリーにやり取り出来ないことの歯がゆさ。
一方的に修正依頼が来たかと思ったら、放置プレイ。
勿論、真摯な対応をしてくれたクライアントも数いたけれど、私は豆腐メンタルなので、マイナス要素の方をどうしたってプラス要素よりクローズアップしてしまう。
また、私が受けた案件は単発のものが多かったので、関係性はドライそのもの。それが良い面でもあるのだけれど、だからか雑に扱われることもあり、聞きたいことも聞けなかったりレスポンスが遅かったり。
これが長期案件ならば、その規模も違うことから詳細なやり取りが必要となるし、また相手も支払う額の桁が違うことで、途中リタイヤなどのリスク回避から、適切な対応を取っていたに違いないと思う。

 ちなみに、私が受けた仕事は誰にでも出来る記事作成が主だった。
育児や家事の諸々から始まる雑記ネタ。多分、そこらへんの主婦が井戸端会議をしている内容をまとめたもの。
そんな私の記事が、大手まとめサイト記事内の中にあった時は驚いた。勿論、記事を納品した時点でサイト側のものであるし、私の名前など記されていないのだけれど。それがお役立ち記事として世にお披露目されていることが嬉しかった。

 しかし、数年経つうちに自分の中でのネタが尽きてしまった。
書ける記事は限られたカテゴリーのものだったし、そのどれもが似たようなもので新鮮味がなくなり、リライトを繰り返すうちにクライアントにも申し訳ない気持ちになった。
過去の記事を切り貼りして納品することは相手に対して失礼だと思ったし、だからといって新しいネタを絞り出すことも出来ない。ライティングに限界を感じたのだ。
 また明るい日中から自宅に籠っての作業は気持ちの切り替えも出来ず、コロナ禍で周囲が在宅ワークに飛び付くのと入れ替えにサイトにログインする指も遠のいて行った。

清掃、惣菜、そして工場パート

 心機一転、子も中学生で日中の暇な時間を生かさなくてはと、塾代を稼ぐ為にもパートに出る決心をした。
そしてこれがなかなか決まらなかった。
最初の方こそ、座り仕事なんて無理目設定での職探しだったけれど、不採用通知が続き、徐々にそのハードルを下げていくことになった。

 自分の理想とのギャップー、これは嫌だ、あれは嫌だと贅沢を言っていられない。
とにかく行動をしなくては始まらない、そしてアラフィフに差し掛かろうとしている今、ブランクをこれ以上あけるわけにもいかない。

 切羽詰まった状況の中で、清掃パートが決まったが、長く続かず。
そして惣菜、工場と立て続けに応募し働いて来たけれど、これらも長続きしなかった。
人間関係と仕事内容、そのどちらかが満足いくものならば続けられたのかもしれないけれど、私の場合は、そのどちらも合わなかった。


春の求人に向けて

 良い求人が出る時期がある。
それは春先。春は出会いと別れの季節でもある。
職場においてもそれは言える。
特に子育て中の主婦は、子どもの就学が始まったり、夫の転勤が決まったり、また親の介護等、何かしら家族の節目に関わる事情で退職しなければならないことがある。
その時期が「春」であることが多い。
また、ねらい目のオープニングスタッフの募集も、春先にかけられることが多いのも頭に入れておくべき事項である。

自分の適性を知る

 結婚前も、きちんとした仕事に就けなかった。
もう少し私より年上ーバブル世代の短大卒なら引く手あまたで一流企業の一般職にありつけたのだと思う。
だが、私は氷河期世代の短大卒。
正社員は厳しく、中小企業の事務系でも4大卒女子を採用する流れが出来始めていた。
性格的に、営業や販売職などは無理。

 当時、思い描いていた仕事に就けなかったのは学歴によるものだと諦めていたけれど、そうではないと今なら思う。
自らそれを盾にして挑戦して来なかったから。
学歴が無くても、正社員として働く人は現にいる。
そうでなくても、自らが輝ける場所を見付け、生き生きと能力を発揮し稼ぎを得ている人もいる。

 もう過ぎた過去を嘆いていても仕方がない。
これからのことを考え、先を見据えた行動をしなくてはならない。
大事なのは、自分の適性を知り、可能性に蓋を閉じないこと。
もうアラフィフではない、まだアラフィフなのだと自己暗示を掛けること。
そして、適切な取捨選択。
何が自分にとって大事で何に妥協するのか。
いち主婦であるからこそ、その選択を取り違えてはならない。
人生はやり直しは効かない。
どうしたって、積み重なった過去が今の自分を作るのだ。
駄目な部分も受け入れ、努力すること。
その努力の先に、小さくても自分の理想を叶える希望がある。

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