親戚付き合いに付随する煩わしさ

ダイニングテーブル 家族
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 義父が退院したので、快気祝いをしようと義姉である長女から連絡が入った。
それは勿論いいのだけれど、どうやらそれは建前で、次女があいちゃんのお祝いをしたいらしい。
正直、そういうのは内輪でやって欲しい。
なぜ、親族一同いちいち貴重な休みを削ってまで駆り出されるのか。

煩わしい親戚付き合い

 「花子も合格したしね。そのお祝いもしてあげるから。」

ーしてあげる?って何目線?

 とって付けたかのような長女の言葉を素直に受け取ることが出来ないのは私の妬みからか。
とにかく頭に来たし、子のことが可哀想になる。
去年の集まりで、子の受験校を聞いて鼻で笑った長女。
合格しても、今の今までお祝いの言葉などない。
彼女の子どものような有名校でなければ、しなくてもいいお祝いを「してあげる」ものなのだろう。

「でも、花子ももっと早く私が紹介した塾に変えていれば違ったかもしれないわね。まあまだ大学受験もあるし、切り替えて頑張りなさいって伝えておいて。あいとは違って、メンタル弱そうだから心配だけど。」

 電話を切り、思ったこと。
しばらく彼女の顔を見たくもないし声も聞きたくない。


これが最後かもしれないという常套句

 「私も行かないと駄目?」

 あんなにあいちゃんと仲良かった子なのに、集まりの話を聞いて出た第一声。
それが、子の今の気持ち。
比べられるのが分かっている、居場所がないのが分かっている、そんな集まりに行きたくない。
しかし、夫は子を諭す。

「じいじやばあばだって、この集まりが最後かもしれないって言ってるんだ。なかなか皆で集まることが難しくなってるからな。」

 確かに、上の姪や甥は大学生になった途端、すっかり義実家に寄り付かなくなった。
それは、成長の過程で、親や親戚と過ごすより仲間と過ごす時間に比重を置くようになったから。
それは寂しいといえば寂しいけれど、そういうものなのだ。

「お年玉やお祝いだって貰ってるだろう?貰うものだけ貰って顔を見せないっていうのはな、ちょっと良くないよな。」

 夫の言い分。
尤もだし、反論の余地もない。
ただ、人の気持ちは正論で片付けられないことだってあるのだ。

「分かった。」

 子は、渋々承諾した。
また義姉らが余計なことを子に言わなければいいけれど。
それに、あいちゃんと比べるのもやめて欲しい。
同じ血が通っていても、環境も性質も違うのだから。
そして、周囲から称賛を浴びることだけに価値を置くのも。
それこそー、血縁関係だからこそ、その子自身の中にある良さを汲んで欲しい。


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