KYな夫

レジ袋
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 休日のこと。
夫と2人、買い出しに出掛けた。
米や水等、重かったり嵩張る日用品や食料品などを中心に、車で運びたい物をあれこれ買い込む。
会計レジに並んでいる時、夫が私の肩を叩き、顎で向こう側を指す。
素敵ママが斜め前にいた。


挨拶もしない癖に知人ぶる

「おい、あれってR君ママじゃないの?」

 ひそひそ声ではない、並ぶ前後の人にも聞こえるようなボリュームで耳打ちして来る夫。
確かに、素敵ママだ。
だが素敵ママとはつい最近、子の進学について根掘り葉掘り聞かれて嫌な気持ちになった経緯もあり、なるべくなら関わりたくない。
しかも彼女は一人ではなく、友達?だろうかー、隣に女性がおり楽し気に会話をしている。
なのに、空気の読めない夫は更に私の脇腹をぐいっと押しながら、

「R君ママだよな?ほら、絶対そうだ。ほら!」

挨拶しろと言わんばかりの圧を掛ける。
うざい、ただただうざい。そんなに気になるなら自ら挨拶に行けばいいのに、絶対にそうしない。
いつもそうだ。
私とは微妙な間柄のーでも夫は何故か顔を覚えているママさんと遭遇すれば、わざとなのか周囲に聞こえる大きな声で私に伝えて来るのだ。
最悪、本人にも聞こえるような大声で。
 

 もう彼女とはご近所でもなければ子どもが同じ学校でもない。
接点が無いのだ。そして彼女も私になんて用は無い。
そんな微妙な距離感の私達をまるで取り持ってやるかのように夫は私の背中を押そうとするのだ。

ーいやいや、そんなところでプッシュしなくていいから。

そのエネルギーは他に使って欲しい。
例え私が彼女に声を掛けたところで、夫自身は挨拶もせず素知らぬ顔で遣り過ごす癖に。


「ちょっと、買い忘れ。並んでて。」

 夫に財布を渡し、その場を離れた。
夫はえ?っという表情をしたが、それを無視しての強行突破。



顔見知りでの挨拶するしないの境界線

 今回のように、相手が取り込み中だったりする場合。
また、さほど相手と近しい関係性ではない場合。
こちらから近寄っての挨拶はせず、見てみない振りをする人の方が多いのではないかと思う。
思い切り互いに目が合ってしまった場合を除いては。
そんな風に深く考えず、ズカズカ相手の懐に寄って行ける者もいるかもしれないけれど。
そうなれないから、私は生きづらい人間の部類に入るのかもしれないけれど。



社会性とは何ぞや

 夫が財布からお金を出そうとしたタイミングで、買い忘れ―と嘘を付いた塩をレジの店員に渡した。
サッカー台付近には素敵ママの姿は見えず、私達より先に並んでいたのでもう店の外に出たのだなと安堵した。
 何事もなかったように、私は籠からエコバッグへ買った物を詰め込んでいたのだが、夫が隣でぼーっと突っ立ったまま暇そうに私に問い掛ける。

「R君ママに声掛けなくて良かったのか?あんな近くにいるのに、あなたおかしいよ。」

「???」

ーあんたもおかしいから。そんなに気になるのならR君ママのところに行って挨拶すれば?そもそもお隣の針金さん夫婦にすら玄関先でばったり会ってもちゃんと挨拶しない癖に。

そう言いたい気持ちが腹の奥でぐるぐる回る。


「あなた、もう少し社会性身に付けた方がいいよ。やっぱり働いてないと駄目だな。そういうところだよ。」


 上から目線のその言葉に反吐が出る。
働いていないから社会性がないんじゃない、働いていようが夫のように社会性がない人間だっている。

 仕事をしていても、ロクに新聞も読まず世の中の情勢に疎くて職場の狭いコミュニティの中にだけ自分の存在価値を見出している者もいるだろうし、仕事がなくても、自分の身の回りのことだけではない常に外に向けてアンテナを貼り、自分に何が出来るかを考え実行するー、例えばボランティア活動など、人の為にと地域活動に勤しむ者もいる。

 社会性は、人間性が高いかどうかによるのだと思う。
視野を広めるということは、何も仕事だけに限らない。
新聞や本を読み、ニュースを観て多くの正確な情報を得た上で、自分なりの経験や知識を総動員させ思考し行動すること。
自分の考えばかりを押し付けず、相手の考えにも耳を傾けること。
それが自分とは違っても、そんな考えもあるのだなと受け入れられる懐の広さを育てることが社会性を身に付けるということなのだと私は思う。



社会性のない夫婦

 結局のところ、偉そうなことを言って私も社会性があるとは言えない。
しかし、夫の意見をそのまま鵜呑みにし全肯定する気にもなれない。
私は学歴もなければ自慢出来る職歴もない、ないない尽くしの人間だけれど。
本だけは読んで来た。
活字は時に、私の無知を刺激し知識欲を満たしてくれる。
それに、ネットでは得られない創造性も養われる。
亀のペースではあるけれど、ふとした時に図書館通いで得て来た本の学びが生きる瞬間があるのだ。
専業主婦で自己投資にお金を掛けることが出来ずとも、図書館という場所は、私達に平等に学びと娯楽の場を提供してくれる。

 何事もバランス。
勿論、それに合わせて人と人との関わりをもっと増やせば、夫も納得するような「社会性」とやらが身に付くのだろうけれど。


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隣の芝生
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