薄い父

チーズケーキ 家族
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 父親と最後に会話らしい会話をしたのはいつだったかと思い出そうとするが、思い出せない。
母との関係にばかり悩んでいる私だけれど、父についても思うところは多くある。
年老いて、体を壊してからというもの薄くなった父。
髪や体もだけれど、存在が薄くなった。ふっと息を吹き掛けたら、飛んでいきそうなくらいに。

 母と会った。
本当は、そういう気分ではなかったのだけれど、たまたまパート休みだった昨日、近くに買い物に来てるからどこかで待ち合わせないかと。
正月の挨拶をしていなかったことは気掛かりだったけれど、子と一緒に遊びに行くとなるとなかなか予定が合わせられず、なんだかんだで今月は無理だろうと思っていた矢先だった。

待ち合わせ場所のカフェ、母らしき後ろ姿は姿勢が悪く髪の毛も真っ白。
実家の中で見る母と外で見る母とはえらく感じが違っており、老いを感じるのはそれに対比する世界の中にいる時なのだなと改めて思う。


「あぁ、あんた。」


 しかし、外で会えばしっかり化粧をし、またゴテゴテとジュエリーをこれでもかと付けている母は相変わらずだった。


「私はお茶だけでいいわよ。」


「いいよ、おごるから。」



 母はそう言うけれど、ケーキセットを二つオーダーした。
要らない要らないと言いながらも、結局はぺろりなのだ。


「これ、あんたいつになっても来ないし。もう正月って感じじゃないからさ。花子に渡しておいて。」


 すっかりタイミングを逃したお年玉袋に描かれた辰は、愛嬌ある顔でこちらを見つめている。
有難く頂戴し、バッグに仕舞った。
そして、相変わらず叔父である弟からは何もない。

母は、ここ数か月のたまりにたまっていた鬱憤を晴らすかのように、とりとめのない近況を語り始めた。
主に、伯母やN恵のこと。それに最近のマンション周りのゴタゴタ話。
通院している医者とのやり取りや歯医者の話。
ぐるぐる同じところを行ったり来たり、進歩の無い日々を母なりに装飾し、ドラマティックに語る。
自分の話をしたら落ち着いたのか、ようやくこちらの近況を聞いて来たけれど、聞いているのかいないのか、私が話す最中に自分の話すことを考えているのが分かりやすいくらいに表に出るのだ。


「それでね、エンディングノート、もう一度書き直したわ。」


 能登の震災で、母なりに色々見直すところがあったらしく、内容を更新したとのことだった。


「まあ、私達もどうなるか一寸先は闇だからね。そうそう、お父さんにも聞いたのよ。最後に何か残したい思いはあるかって。」


 会話のテンポが変わる。
顔を紅潮させながらワンオクターブ高く早口になる時の母は、だいたい私を嫌な気分にさせる一言を用意しているのだ。


「私には感謝してもしきれないって。本当に長い間俺の為に尽くしてくれてありがとうって言うのよ。まさかあの人からそんな風に素直に感謝の言葉を聞くなんて思ってもなかったわ。」


「へえ。良かったね。」


 よくやってるよ、すごいねーと付け加えた方が良いのか迷っていると、弟に対しても父は感謝の意を示したと言う。
働かずにパラサイトしている息子に対して、本当に父はそう思っているのかは謎だが、母は声を大にして、


「俺達の為に、家から出ない選択をしたのかもなって言うのよ。あの子もいい人がいたかもしれないのよ。ただ、責任感が強いじゃない?私達を置いて家を出るってのが優しいから出来なかったんだろうねってお父さんとも最近よく話すの。優しい子が損するのよ、いつの時代も。」


始まった。
また、私に対する当て付け。うんざりしていると追い打ちを掛けるように母は続けた。


「でね、あんたにも何かあるか聞いてみたの。大事な可愛い一人娘じゃない?なんて言ったと思う?」


 ニヤニヤしながら私に問う母の顔に、底意地の悪い感情を垣間見る。


「さぁ、分からないよ。何?」


 分からない風を装ったけれど、娘なら近くに住んで欲しかったとかー、もっと会話をしたかっただとか、旅行に行きたかったとか、そんなことだろうと思っていた。だが、答えは想像の斜め上をいった。


「無いって。」


「え?」


「だから、何も無いって。」


「・・・」


 母が声を立てて笑った。悪魔のような笑い。
本当に、私達は血が繋がっているのか?とよからぬ疑惑が湧くほどに。


「ありがとうもないの?って聞いたのよ。そしたら、何も世話になってないから無いってさ。本当、あの人も実の娘にそんなことよく言えるわよね。あんたが可哀想で。」


 可哀想だと思うなら、わざわざ本人に伝えなくてもいいのに。
なぜ、こうも娘を不快にさせたがるのか?私に何か恨みでもあるのか?
そして影の薄い父、たまに遊びに行っても会話らしい会話をしない父が、唯一、私に向ける感情がその台詞だったのなら。
私の中の父親という存在と同じくして、父親の中にいる私だって、限りなく薄いのだ。

 チーズケーキ、残りの一口をどうしても食べる気になれず、皿に残したまま店を出た。
母は、自身のストレスを別の形に変え私に背負わせることで、すっかり身も心も軽くしたようだ。
ご機嫌にデパ地下で惣菜やスイーツを買い込み、何も買わない私をケチだと子馬鹿にした笑みで言い放ち、改札の中へ消えて行く。

折角の休みに、どっと疲れた私は真っ先に家に帰りたい。
誰にも邪魔をされないあの空間で、熱い緑茶を飲みたくなった。




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