男の秘密基地

車 家族
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 義父が事故を起こした。
とはいっても、人身ではなく物損。不幸中の幸いだ。
連絡があった時、一番上の義姉は動揺しており、命にかかわるかもーと言うので私も夫の事務所や携帯に何度も掛けた。
ようやく繋がり、夫は仕事を切り上げて春休みで家にいる子と3人、義実家へ。
どこで情報が誤って伝わったのか、三女が大袈裟に騒いだことで長女が早合点していたようだ。
義父は、軽い怪我。一応、むち打ちのような症状が出ているので整形外科で診て貰い経過観察とのことだった。


「心配掛けて、悪いね。」


「もう!パパったら。勘弁してよ。」


「でも、誰かを巻き込んだりしてなくて本当に良かった。」



 夫もほっとしたのか、いつもより口数が少ない。



「そろそろ、免許返納も考えないとな。」


 ぽつりと義父が呟く。
だが、それは今すぐではなくまだまだ先のことーのようなニュアンスだった。


「いや、もう今年中に返納した方がいい。」


 珍しく、夫が父親に向かって語気を強める。
それに乗っかるかのように、次女も、


「そうよ、パパ。もう返納して。ずっと言おうと思ってたけど・・やっぱりもう年だしさ。タクシー使えばいいじゃない。」


 懇願するが、義父は首を縦に振らない。


「俺はタクシーは嫌いなんだよ、疲れる。」


「でも、何かあってからじゃ遅いんだよ?」


 ソファーに横たわっていた義母が申し訳無さそうに言う。


「パパはね、私の病院や買い物でどうしたって車が必要なの。」



「いやいや、ここは都内だし。過疎化された田舎ならともかく、バスだって電車だって交通手段は沢山あるじゃない。それに、私達だっているでしょう?車なら言ってくれれば必要な時に出すから!」


「お前達にだって、生活があるだろう?子ども達のことや仕事や。世話になる訳にいかないよ。」


「何言ってんの。水臭い。私達だって今まで孫の面倒見てもらったり、色々お世話になったんだからさ。親子なんだから当たり前でしょう?」


 だんまりの長女と三女をよそに、次女が声を上げ続ける。
次女は感情的になっている半面、2人は冷静にこの状況を見守っているようだった。


「もしも何かあったら、パパだけの問題じゃないのよ?可愛い孫にも迷惑が掛かるってこと分かってる!?」


 きっと、次女の本心はそこにあるのだ。
義父の心配よりも自分達のこと。それが随所に透けて見える。


「とにかく、もう年なんだから考えないと。」


 夫がもう一度、義父に声を掛けた。今度は優しく。


 帰り道、夫はハンドルを握りながら呟いた。


「男にとって、車は特別な存在なんだ。自分の身体の一部なんだよ。それに親父の時代は特に車世代だからさ。返納するってことは、単に不便になることだけじゃないんだよ。」


 言いたいことは分かる。私の実父もいまだに返納していない。
病気で車の運転は滅多にしなくなってもだ。今も尚、何年かに一度の免許更新を続けているのだ。
まるで、それが男の勲章であるかのように。
母と喧嘩をすれば、家を出て車で一人ドライブをしていた父。
いつでも一人になれる空間、まるで自由自在に動く秘密基地のような場所。
義父も同じく、思うように動かなくなった体を忘れられる唯一の手段を取り上げられることを拒絶しているのだろう。

 それでも、私も次女と同じ意見だ。
他所様に迷惑を掛ける前に、返納すべきだと思う。
老いることは、一つずつ何かを捨てること。
身軽になっていくこと。
意固地にしがみ付き、取返しのつかない罪を背負うことになってしまっては元も子もない。




 




 


 

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