母の日

カーネーション 家族
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 母の日を終えて、ほっとしている。
娘の立場からも、母としての立場からも。
世の中が「母の日」モードで、テレビを点けても街を歩いていても、目に入るカーネーションの写真やイラストの数々。
新聞チラシにも、母の日商戦。

実母と義母

 実母には、今年から現金を送ることにした。
その額、1万円。
私が送るものは不良品が多いと言われ、自分で欲しいものを買いたいからお金をくれたらいいとはっきり言われたのだ。
娘としては、ショックを通り越し呆れてしまった。
普通、その「モノ」がどうのこうのよりも、選んだ時間や労力ーつまり心遣いがプレゼントなのだと思う。
私が母の立場だったら、娘からたとえ不良品のカートだったり枕が送られてきたとしても、それは店側の問題でまずは「ありがとう」の気持ちが先に出るのでは、と思うのだけれど。
残念な親だけれど仕方がない。それが私の母なのだ。

 義母には、選べるフラワーギフトを贈った。
夫にも相談し、それなりのもの。
素敵なアレンジメントに、スープやちょっとした高級レトルトセットが選べるギフト。
何より、体の自由が利かない今、レンジで温めるだけで食べられるようなものが助かるかと思ったのだ。三女は相変わらず料理が出来ないらしいので。
正直、夫が自分で選び渡した方が義母も喜ぶと思う。
嫁から貰うより、腹を痛めた我が子から貰うプレゼントの方が嬉しいだろう。
相手を素直に喜ばせたいという想いがなければただの「儀式」だ。



母の日スルー

 いつも通り、今年も母の日はスルーされた。
さすがにもう、何の期待もしていないけれど。
子が将来、結婚し、義母を持った時もスルーするのかと思うと悩ましい。
面倒なのか照れくさいのか分からないけれど、私の娘は「そういう子」なのだ。
私は実母の顔色を伺い過ぎて、母の日を重荷に感じながらもやって来た、それが正しいのかどうか分からないけれど。
子は、私の顔色を伺ったりはしない。
それは私が自分のようになって欲しくはないと育てて来た結果なのだ。


5月の第2日曜日だけが母の日ではない

 母の日にちなみ、民間会社が50~70代の女性に「子どもにして欲しいこと」を尋ねた結果、「何もしてもらわなくていい」と答えたのが4割に近かったらしい。
それを私も実感した。
子が熱を出し体のだるさを訴えたのだ。
今はもう下がったのだけれど、母の日なんてすっかり頭から飛んだ。
温かいお粥とりんごジュース、もう小さな子どもでもないのに、やっぱりその頃から変わらず看病してしまう。
休日で病院も休みなので、ただ寝かせるしかなかったのだけれど。
半日寝て熱も下がり、結局、風邪だったのか何か分からないままだけれど、健康一番!と心から思ったのだ。

 元気でいてくれたら、それでいい。
それに、母の日にかこつけなくても、子からは卒業式の時に心のこもった手紙を貰った。
私にとっては、あの日も「母の日」だったのだ。






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